ワーウィック・ソーントン監督によるアジアフォーカス・福岡国際映画祭2010の上映作品。
アボリジニの厳しい現実を描いたオーストラリアの秀作でセリフがほとんどなく、言葉が分からない人が字幕なしで見ても十分に理解できるシンプルな映画です。87点(100点満点)
サムソンとデリラのあらすじ
祖母の看病をしている少女と、彼女に恋をした少年の物語。アボリジニの二人は近代的な生活へと飛び出すが、現実に打ちのめされ、とことん堕ちていく…。
(アジアフォーカス・福岡国際映画祭オフィシャルサイトより)
サムソンとデリラの感想
住むところを追われ橋の下での生活を強いられ、生きる抜くために様々なことに手を染める二人。サムソンはシンナーを吸う要領でガソリンをペットボトルに入れ、神経を麻痺させてつらい現実を忘れようと努める。
デリラは絵を書いてなんとか小銭を稼ごうとする。二人は食べる物を得るために万引きをしたり、ありもしない救いを求めて街をさまよい続ける。という全体的にせつない話なんですが、悲しさよりたくましさや愛情を強く感じられる良い作品でした。
特にサムソンとデリラの関係がキュートでいいですね。二人は最初こそ口も聞かず、サムソンがデリラの背中に石を投げたりして自分に注意を惹こうとしたりするところなんかは幼稚にすら映ります。しかし同時に二人はストレートで素直な面を持ち、その部分にとても好感を覚えてくるのです。
一番面白かったのは、サムソンが自分の家に居られなくなったときにマットレスを抱えながら、デリラの家に押し込んでいって、庭に勝手にマットレスを敷いて住み始めてしまうというシーンで、世界にはあんなことが許されてしまう文化があるのかと驚愕しました。
デリラも嫌がることは嫌がるんですが、まんざらでもないようで、結局はサムソンを受け入れてしまうところなんかも女心を感じさせてくれます。そして一番注目したいのは、一度くっ付いたらなにがあっても離れない、見捨てない、という二人の強い絆です。
一見ちゃらんぽらんでいい加減そうなサムソンも、一見冷たそうなデリラもそういうところはきっちり守っていて、ああいう義理人情は今の近代社会ではもう見られないんじゃないのかなぁという気がして、貴重な瞬間を体験した気持ちなりました。
その一方でオーストラリアのアボリジニーの集落から取り残された、マイノリティーの中のマイノリティーというような彼らの特殊な状況が二人の絆を確固たるものにしたともいえそうです。
マイノリティー同士の結束が強くなるのは、他に頼る人がいないから、代わりがいないからというのも大きいでしょう。サムソンとデリラのような極端なシチュエーションに置かれたら、性格が合うとか合わないとかの次元で物を考えるのではなく、助け合っていかないとしょうがない、ということになりそうです。
砂漠の真ん中でお互いを支え合って生きる健気な二人は夫婦の原型のようでもあり、なんともいえない懐かしさを覚えました。ちょっと時間を置いてからもう一度見たいな、と思える映画でしたね。
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