「きいろいゾウ」、「彼女の人生は間違いじゃない」、「娚の一生」、「さよなら歌舞伎町」の廣木隆一監督による馬鹿げた感動ポルノ。マイナス82点(100点満点)
映画100回泣くことのあらすじ
4年前に起こしたバイク事故で記憶の一部を喪失した藤井(大倉忠義)は、友人の結婚式で出会った佳美(桐谷美玲)と交際をスタートさせる。交際間もなくプロポーズした藤井に、佳美は1年間は結婚の練習をしようと提案。そんな幸せ絶頂の最中、佳美を病魔が襲う。実は、佳美が練習期間と言い出したのには理由があり……。
シネマトゥディより
映画100回泣くことの感想
正気の大人が作ったとはとても思えない、どこを見ても寒いシーンしかない病的な一本。日本の恥になりかねないので外国には絶対に持ち出してはいけない恋愛映画。
「4年前に起こしたバイク事故で記憶の一部を喪失した藤井」
この一行を読んだだけでも勘のいい人なら嫌な予感がすると思います。あまりにも都合の良すぎる「記憶の一部を喪失した」という設定。
「幸せ絶頂の最中、佳美を病魔が襲う」
この一行を読んだだけでも映画の失敗の法則を知っている人はこれが駄作であることは分かってしまうはずです。しかし中にはそれでもあえて見てみようという僕のような物好きがいて、そういう怖いもの見たさで行動できる好奇心旺盛の人たちに支えられている映画がこの「100回泣くこと」です。
本気でこの映画が見たかった、という人はよっぽど泣きたがっている普段感情を抑制されて吐き出すチャンスが映画で泣くことぐらいしかないという人でしょう。
ダメな日本人監督は映画を作るときに、観客を泣かせるのを一番の目的に作っているような臭いがプンプンします。泣かすことが前提で、その目的を達成するために、どうしたらいいかという考えでシナリオやら、演出やらを決めているから、出来上がってみると滑稽でしかないのです。
観客を泣かすにはどうすればいいか、と考えたときにダメ監督は当然悲しいエピソードを次から次へと投入してきます。ところが交通事故、病気、自殺、失敗、挫折、別れ、などの要素を一つのかごに入れすぎると、重くなりすぎて視聴者にはとても持ちきれなくなるのです。
そしてやりすぎた映画はサブくなるのが常で、サブサブのポイントを見つけては真剣なはずのシーンが笑いになってしまう、という結果になりがちです。では気になるシーンを見ていきましょう。
まず藤井が佳美と公園でばったり会ったときのワンシーン。二人はお互いに惹かれ合ってはいるものの、付き合う前でまだ心を許していません。それを表現したシーンがこれ。
距離遠すぎだろ、いくらなんでも。もうちょっと離れてたら電話で話したほうがいい距離です。僕は公園でこの距離で会話をしている男女なんて生まれて一度も見たことはありませんが、これが監督の距離感なのです。
もちろん二人の間柄を表現する比喩的なシーンなのでしょう。だとしても真ん中にベンチがあるのにそこに座らないのが気になってしょうがないですね。この距離感のままぜひ二人にはレストランに行ってもらいたかったです。2つ隣の席に座りそうですね。
続いてこのシーン。踏切でなぜか藤井は佳美を置いて向こう側に渡ってしまいます。電車が通っている間に急に佳美はお腹を抑えて苦しみだします。
そこで佳美が言った一言がこれ。「大丈夫、ちょっとだけ、電車通り過ぎるまで」。結婚相手に自分が癌であることを隠すという意味不明なシナリオ。そしてそれを視聴者に伝えるために監督が取った手段が踏切って。
なにも知らない藤井はこんな顔して電車が通り過ぎるのを待っているという笑いにしかならないこのシーンも狙いを完全に外してますね。これじゃあ100回は泣けません。
そして極め付けは、体調を崩した佳美が藤井に対して「ねえ、解熱の舞(踊り)をやって」と無茶フリをします。今までそんな無茶フリするようなキャラじゃなかったのに急に馬鹿なアイドルみたいになる不思議。これに対する藤井のレスポンスがこれです。
「そんなの見たいことないよ。踊るってこと? しょうがないなあ、ズンダッタタ、ズンタッタ、さがれー、さがれー」
無茶フリするほうもそうなら、悪ノリしてやるほうもまたそんなキャラじゃないのが一目瞭然で、無理やりやらされてる感があって、視聴者たちまで癌にかかりそうな放送事故ともいえるシーンでした。でも俳優たちが悪いんではありません。
すべてはあんなことをやらせた監督のせいなんです。僕が日本の入国管理局のお偉いさんだったら、この監督のパスポートを取り上げて、出国拒否の刑にします。こんな作品が海外の映画祭なんかで上映されたらと思うと、恥ずかしくて夜も眠れません。
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