マルガレーテ・フォン・トロッタ監督によるナチス映画。芸術路線の大人向け人間ドラマです。49点(100点満点)
映画ハンナ・アーレントのあらすじ
1960年、ナチス親衛隊でユダヤ人の強制収容所移送の責任者だったアドルフ・アイヒマンが、イスラエル諜報(ちょうほう)部に逮捕される。ニューヨークで暮らすドイツ系ユダヤ人の著名な哲学者ハンナ(バルバラ・スコヴァ)は、彼の裁判の傍聴を希望。だが、彼女が発表した傍聴記事は大きな波紋を呼び……。
シネマトゥディより
映画ハンナ・アーレントの感想
元ナチス高官の戦争裁判を巡るハンナ・アーレントの独特の見解にフォーカスした哲学映画。
ホロコーストを引き起こした容疑をかけられたアドルフ・アイヒマンは果たして怪物かそれとも普通の人間か。一人のナチス親衛隊員を通じて戦争と人間とはなにかを問う大人向けディスカッション・ムービーです。
論争を巻き起こす内容ですが、サスペンス性もなく映画としては地味で、登場人物が不毛の議論ばかりしているため眠くなります。
哲学的になりすぎた感があり、もうちょっとモサドの怖いエピソードでもあればよかったんですけどね。ハンナ・アーレントは自分がユダヤ人でありながら、元ナチス高官のアドルフ・アイヒマンを擁護するようなレポートを発表したことで、ユダヤ人社会から批判を受けます。
ただ、ハンナ・アーレントはなにもアドルフ・アイヒマンを擁護したわけではなく、戦争の状況下で彼は上部の命令に従っただけで、それが虐殺を引き起こすとは認識していなかったと説明しますが、戦時中ナチスに苦しめられきた人たちにはそんな論理は通じず、彼女の考えに賛同する者とそうでない者との間に大きな溝ができます。
やがて友人は去り、勤務先の大学からも圧力をかけられ、ついには脅迫まで受けるようになる。それでもハンナ・アーレントは自分の考えを決して曲げることなく、貫き通す強い女性として描かれています。
自分も戦時中収容所に入れられた経験がありながら、私情を挟まずにナチスドイツがやった虐殺に対してあそこまで冷静に考えられるのはさすが哲学者です。
ただ、被害者遺族からすれば、憎き加害者を守る思考は狂っているとしか思えないのが難しいところですね。
劇中にちらっとハンナ・アーレントの学生時代の師であるマルティン・ハイデッガーが登場しますが、このマルティン・ハイデッガーがナチス党員だったらしく、二人はまた恋愛関係にあったようです。
もしかすると、ハンナ・アーレントがナチスに対して他のユダヤ人のように憎しみを抱いていないのはこのときの恋愛が影響しているんじゃないかというような気がします。
国同士が敵対していようと、個人的に友人や恋人がいれば相手の国民をひとくくりにして憎むことが難しくなるからです。
中国人の反日デモはひどかったけど、うちの会社にいるリーさんはいい奴だよなあ、と個人の関係が敵対の歯止めになるのです。
おそらくハンナ・アーレントのような考えの深い女性は、やはり同じような考えの深い男に感銘し、マルティン・ハイデッガーの怒涛の言葉攻めにやられてしまったのでしょう。
マルティン・ハイデッガーの講義を聞いているときのハンナ・アーレントの顔は完全に濡れた女の顔でした。歳をとってからも再会していたことを考えるとよっぽど忘れられない恋愛だったのでしょう。
この映画は哲学プレーによって結ばれた民族を超えた二人の恋愛映画にしたほうが面白くなっていたに違いないです。
コメント
なんかひねくれた批評ばかりだね。
すごい性格の悪さが分かるわ
この映画から読み取るべき事は、ナチスの戦争犯罪の原因が、思考停止による「悪の凡庸さ」であり、「ナチス」という表象に止まらせてはならないと言うことです。
しかし、簡単でわかりやすい、つまり表面上だけでナチス批判したい(イスラエル人のナショナリズム構築とも絡み)思考停止した大衆は、アーレント批判をする。その構造は現代も変わっていないのは周知の通りですね。
旧ユーゴスラヴィア、内戦前のルワンダ等、宗教や民族を超えた情愛を否定しませんが、そうした他民族共生の社会を否定するイデオロギーにナショナリズムが悪用されることがあります。
この映画は凡庸な大衆がナチスを何故支持したのか、またユーゴ内戦勃発の大衆心理、そしてイスラエルのパレスチナ人迫害の構造を考える一助になると思います。
秋風亭遊穂さん
冷静な分析ありがとうございます。僕的にはアーレントの考えはよかったですが、映画としてはちょっと退屈でした。
> この映画から読み取るべき事は、ナチスの戦争犯罪の
> 原因が、思考停止による「悪の凡庸さ」であり、
> 「ナチス」という表象に止まらせてはならないと言う
> ことです。
まさにそうだと思います。
多くの評が、「ハンナの強さ」に感動などと言っていますが、そんな個人の問題を描いた映画じゃありませんよね。
ハンナがハイデッガーに恋したからナチスを憎めなかった、というのは違うと思います(少なくともこの映画ではそういった描かれ方はしていなかったと思います)。彼女自身がかつてナチスに拘留されているので。そういった個人的な恨みで感情的になるのではなく、対象を理解しようと努め冷静に議論した所がハンナの凄いところなのではないかと。
監督がこの映画にハンナとハイデッガーの恋愛エピソードを入れたのには、別の意図があるように思いました。
例えば、かつてハンナに非難されたハイデッガーのように、ハンナ自身が大切な友人達に非難されてしまうあたりを重ね合わせたり。ハンナがハイデッガーを「理解」しようとして、ハイデッガーを乗り越える物語とも解せるのではないかと思いました。個人的な感想です。
valentineさん
コメントありがとうございます。あの二人の関係性にはいろいろな意見が出そうですね。愛があったから、民族の壁を超えられたと考えるのは安易でしょうか。