スポンサーリンク

ある愛へと続く旅はサプライズ映画!感想とネタバレ

※当サイトではアフィリエイトプログラムを利用して商品を紹介しています
※当サイトではアフィリエイトプログラムを利用して商品を紹介しています
この記事は 約4 分で読めます。

Venuto-al-mondo

イタリアの小説「Venuto al mondo」を原作とした戦地サラエボで生まれた一人の子供を巡る感動のドラマ。筋書きを複雑にしすぎて多少無理があるものの、最後は上手くまとめている構成力のある作品です。72点(100点満点)

スポンサーリンク

ある愛へと続く旅のあらすじ

サラエボで運命的な出会いを果たし、夫婦となったジェンマ(ペネロペ・クルス)とディエゴ(エミール・ハーシュ)。切望する子どもが望めなかった彼らは代理母候補を探し出し息子ピエトロを授かるが、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が勃発する。

息子を連れて難を逃れたジェンマだが、ディエゴだけが街に残って命を落としてしまう。それから16年後。ローマで暮らしていたジェンマは、サラエボ時代の友人に誘われてピエトロと一緒にボスニアへ向かう。街の風景を眺め ながら、ディエゴとの深い愛を思い返す彼女だが……。

シネマトゥディより

ある愛へと続く旅の感想

セルジオ・カステリット監督による意外性があって、視聴者の期待を超えてくれる作品です。

物語は、子供が欲しくてしょうがないカップル、ジェンマとディエゴが運命の出会いを果たしたサラエボで、代理出産をしてもいいという女性アスカと出会ったものの、その間に内戦が始まってしまい、3人の関係がややこしくなっていく人間ドラマです。

2時間を超える長編で、途中で多少ダレるので、もうちょっとコンパクトに編集できていればなお良かったですね。

ジェンマとディエゴの出会い方も、二人が恋に落ちる過程も急で、またチャラ男と真面目な女という性格の相違もあって不釣り合い感がぬぐえませんでした。

しかし物語が進むにつれて、特にディエゴの印象が徐々に変わっていきます。明るいだけがとりえのような男の表情に影が入りだし、雰囲気に少しずつ苦悩と信念が見え始めるからです。

この映画もまたジワジワためてためて、終盤に一つの爆弾を落とすタイプの映画です。そこで初めて視聴者は登場人物のこれまでの行動に納得がいき、最後はすっきりして映画館を出る、というお風呂上がり効果を狙っています。お風呂上り効果ってああ、すっきりした、ていうやつね。

チャラ男だと思っていたディエゴが実は責任感のある男だった、ということに驚かされ、ディエゴは代理母となったアスカに対して一体どんな感情を抱いていたのか、という点が人によって意見が割れそうです。

愛していたのか、それとも彼なりに責任を果たそうとしたのか。あの後も二人で一緒に暮らしていけばいいのにという気がしますが、そうしなかったことにはジャンマに対する申し訳なさもあったのでしょうか。あるいは戦争のトラウマですっかり生きる気をなくしたのかもしれません。

主演はペネロペ・クルスでも存在感ではアスカを演じたSaadet Aksoyが上回っていました。トルコ人の女優だそうですが、あのエキゾチックな色っぽい顔立ちがなんとも言えません。

そんなSaadet Aksoy演じるアスカはニルヴァーナを敬愛し、将来音楽で成功したいという野望を抱き、ロンドンに行くためにお金が必要だからとお金をくれれば代理母になってもいい、というファンキーな女の子です。

そのアスカがベッドシーンの最中に、「下でフリッターを揚げてるからちょっと持ってきて、私お腹が減ってるの」といって男に食べ物を取りに行かせる重要なシーンがあります。

あそこはこの映画の鍵となる最大の山場であり、その後の悲劇もあって、突っ込んだりしたら不謹慎に思われるかもしれませんが、文句を言わずにはいられない性格なので言います。

冷静に考えてあの状況でブラジャーを外した直後にお腹空いたなんていって中断してくる女ってどんだけファンキーなんだよ。

慣れ親しんだ男が相手ならまだ分かるけど、初めての相手にあんなことしますかね普通。ただ、「なんか食べるもの取ってきてよ」なんてあのタイミングで言われたとしても、ほとんどの男はたとえムカっときても、やっぱり取りに行っちゃうんでしょうね。そこが男の悲しいところです。

コメント

  1. Kennichi より:

    初めてお便りします。昨日twice bornを見たので、ネット検索している際にたまたまこのサイトを見つけました。全体にセンスの良い的確な評をされていると思いますが、アスカとデイエゴのベッドシーンについての解釈がちょっと気になりましたので一言。あれはデイエゴがジェンマに対する後ろめたさ等々のため、いざ事を始めようとしたのに下半身がいうことを聞かなかった、それをアスカは察して優しさで「お腹すいたからフリッター取ってきて」という表現をした、と私は思います。それまでの経過、デイエゴの性格、「お腹すいた」という前の彼らの表情や間、すべて背景として演出されていたのでは? 余計な一言、失礼しました。

    • 映画男 より:

      kennichiさん
      コメントありがとうございます。ベッドシーンについての解釈もなるほどそうなのかなと思いました。もしおっしゃる通り男のことを気遣っての一言ならまだいいですが、ただ、気遣うんだったら食べ物を取りに行かすのではなく、自らの努力で男を興奮させることもできそうですね。僕的には無理やり男を部屋から出すための演出に見えてしまい少し不自然に思いました。あるいは、ただの気まぐれなファンキー女なんですかね。

  2. mika より:

    アスカへの感情は、きっとあの時平気な顔をして何事もなかったかのようにふるまった事がずっと罪悪感で押しつぶされそうになっていたんだと思う。
    その時の母への償いにも似た行為がそうさせたような気がします。

    いろいろと思いさせられる映画でした。

    • 映画男 より:

      mikaさん
      コメントありがとうございます。ディエゴのアスカに対しての気持ちは人それぞれの意見がありそうですね。