スポンサーリンク

陪審員2番は優れたエンタメ映画

※当サイトではアフィリエイトプログラムを利用して商品を紹介しています
※当サイトではアフィリエイトプログラムを利用して商品を紹介しています
この記事は 約5 分で読めます。

最初から最後まで楽しめる娯楽度の高い法廷ストーリー。突っ込みどころはあるものの、全体的には出来の良い映画です。69点

スポンサーリンク

陪審員2番のあらすじ

ジョージア州サバンナである日、ジャーナリストでアルコール依存症からの回復途中にあるジャスティン・ケンプが、ケンダル・カーターの死亡事件に関する陪審員として召喚される。一年前、ケンドールは地元のバーでボーイフレンドのジェームズ・サイスと口論をした翌日、橋の下で遺体となって発見された。ジェームズはケンダルの殺人容疑で起訴されていた。

この裁判の検察官を務めるのは地区検事(DA)選挙への立候補を控えているフェイス・キルブルーだ。彼女は、ジェームズの有罪を信じて疑わなかった。証人たちは、事件当夜、ジェームズが取り乱してケンダルを追いかけて行ったのを目撃していた。さらに目撃者は、遺体が投げ捨てられた場所でジェームズを見たと証言した。

一方で陪審員のジャスティンは事件の夜、バーからの帰りに車で何かにぶつかったことを思い出し、それがケンダルかもしれないと気づく。彼はバーに行った後、帰宅中鹿にぶつかったと思い、見つけられなかったためそのまま帰宅していたのだ。

無実の人が有罪になることを恐れたジャスティンは、アルコール依存症者の自助グループのスポンサーであり弁護士のラリーに助言を求める。ラリーは、ジャスティンが過去に飲酒運転での逮捕歴があるため、たとえシラフだったとしても誰も信じないだろうと言い、もし自白すれば長い間投獄されるだろうと伝える。

ジャスティンは、ジェームズを無罪にしてあげたいと思う一方で、自分が懲役に行くのには抵抗があった。妻はちょうど妊娠中で出産を間近に控えており、このタイミングで不在になるわけにはいかないからだ。そんな中、ジャスティンは自責の念と刑務所行きを逃れたい葛藤に苦しむのだった。そしてついに裁判は判決を迎える、、、、

陪審員2番のキャスト

  • ニコラス・ホルト
  • トニ・コレット
  • J・K・シモンズ
  • クリス・メッシーナ
  • ゾーイ・ドゥイッチ
  • セドリック・ヤーブロー
  • キーファー・サザーランド
  • レスリー・ビブ

陪審員2番の感想と評価

クリント・イーストウッド監督による、陪審員の男性を主人公にした裁判ドラマ。長いフリとは無縁で本題に入るまでが早く、そこから怒涛の展開が続きラストまで目が離せない作品。ここ最近のイーストウッド映画の中ではかなり優秀です。

裁判ドラマといっても殺人事件裁判の陪審員が選出される過程から評決に至るまでを陪審員目線でつづっているのが特徴で、弁護士や検察ではなくあくまでも陪審員が物語の鍵を握っています。それも被告ではなく陪審員2番である主人公が実は事件の犯人だったというどんでん返しが用意されていて、それが裁判の行方をより興味深いものにしていました。

この映画の優れている点は、冒頭でいきなり陪審員の青年が”犯人”であることを明かしてしまうところでしょう。それはネタバレやオチとも違って、いつ爆発するかもわからない時限爆弾みたいな要素を担っていました。なんてことのない裁判劇なのにハラハラするのはそのせいでしょう。

そしてどういう訳か見ているこっちは主人公の秘密がほかの人にバレてしまわないかどうか冷や冷やするという製作者の意図と演出にまんまとはめられちゃうんですよ。本当だったら「自首しろよバカ野郎」となってるところを「黙っておけば誰も気づかないからそれ以上何も言わないほうがいいって」などと応援しちゃったりなんかして。

ちょうど主人公の妻が妊娠中で、もうまもなく赤ん坊が生まれるという背景もあって、同情や感情移入しやすくなってるのもあるでしょう。さらに被告は元悪党というバックグランドもあるからなおさらで、途中からもはや被告が有罪か無罪かというより、誰を刑務所送りにするかが焦点となりつつあって、悪趣味で残酷なゲームと化していきます。

実際冤罪事件の裁判とかを振り返ってみると、検察がでっちあげたストーリーにそれっぽい奴を当てはめて刑務所送りにして、めでたしめでたしにして事件を”解決”しているようなふしがあるから、この映画の出来事もあながち完全なるフィクションだとは言えないところがありますよね。

かといってものすごいリアルかというとそうでもないんですよ。エンタメ作品としては優秀だけど、やっぱりそんなバカななエピソードがちらほらあって、そのせいで拍手喝采とまでには至りませんでした。

例えば検察官と弁護人が裁判中にバーで飲んだりするところとか。あの二人敵同士なのに距離が近すぎだから。全然プロじゃないじゃん。検察官が判決を聞いているときに携帯でgoogle検索してるし、挙句の果てには法廷の外で陪審員と普通に喋ったりしてるからね。裁判中はもちろん裁判前後にも検察が陪審員に気軽に接触しちゃダメだろ、それもベンチで座って世間話のノリで話しちゃうんだから。

ラストシーンもドアを開けたところで終わってたらもっとよかったんじゃないかという気がしますね。そしたら一体誰が訪ねて来たんだろう?という疑問と余白が残るじゃないですか。まあ、あの人の姿を晒してもまだその後どうなったのかという謎は残るんだけど、あそこまで来たってことはほぼ確実にお迎えに来たってことですよね? それとも抱かれに来たんですか?

どうせなら検察官はもっと冷酷じゃないと。有罪さえ勝ち取れば誰が犯人だろうと関係ねえって思ってるような奴らでしょ。正義を求めるために出世と自分の面子を捨てるような人間味あふれる検察官なんているの?

コメント

  1. ちー より:

    あけましておめでとう御座います。
    映画男さんと同時期に見ていて嬉しいです^ ^

    ぐぬぬ〜と久しぶりに唸らされた作品でした。
    「真実が正義とは限らない」
    とはまさにこの作品において的を得たセリフですね。

    警察側の捜査に落ち度があったのがそもそもの原因な訳だけれど、ラスト、検事は正義を貫いちゃうのかとちょっと残念?に思ったりしました。
    あの正義感は9割がなんだかんだ検事自身のためのものですよね。
    けれど、あのままだとしたら主人公はこれから良心の呵責を一生背負っていく訳で、彼の性格を考えたら正義ではなく真実を貫くことは楽になれることなのかも知れないとも思ったり。
    と、見終わった後にいろいろ議論できる作品っていいですよね。

    主人公がストーリー中9割くらい良心の呵責に苛まれていたのに、バレそうになったら終盤サクッと判決覆して、えっ?ってなったのでその辺の心の動きをもう少し観たかった気もしました。

    疑問なんですがアメリカも基本的には飲酒運転ダメですよね?
    けど、あのバーに車で来てる人は帰り、絶対飲酒運転になりますよね?
    この映画に限らず、バーに車で来るってよく映画で見ますが基本バレなきゃいいってことなんでしょうか?

    • 映画男 より:

      あけましておめでとう御座います。主人公、罪を逃れたかったら最初からほかの陪審員の有罪に賛成していたらそれで終わりだったんですけどね。
      アメリカでももちろん飲酒運転はダメだけど、それでもやる人はたくさんいますね。田舎の酒場とか車じゃないといけない場所にあったりするし。