なんでこんなふうにしたんだよって言いたくなる前作の成功を棒に振った作品。弱いストーリーを歌でなんとか埋めたみたいな映画です。25点
ジョーカー:フォリ・ア・ドゥのあらすじ
アーサー・フレックは2年前にTV番組の生放送中に司会者を殺害した罪を含む複数の殺人を犯しアーカム州立精神病院に送られていた。
弁護士のメアリーアン・スチュワートは、アーサーが解離性同一性障害を持っており、「ジョーカー」とアーサーは別人格で、彼には責任能力がなかったと主張し、無罪を勝ち取ろうとしていた。
ある日、アーサーは病院のB棟で行われる音楽療法セッションで、別の患者のリーことハーレイ・クインゼルと出会う。リーは、アーサーと同じ地区で育ち、虐待的な父親を亡くし、両親の アパートを放火して入院したと告白。アーサーは自分の境遇と似ている彼女に親近感を抱き、二人は急接近する。
やがてB棟での映画上映中、リーが放火し、病院内で大規模な火災が発生する。二人は逃走を試みるがすぐに捕まってしまい、アーサーは独房に入れられる。そんな中リーはアーサーの独房を訪ね、退院することを伝える。そうすれば裁判を自由に傍聴できると彼女は言った。そこで二人は初めて男女の関係になる。
いざ裁判が始まると、リーはアーサーの弁護士のメアリアンが無能であると非難した。彼女はアーサーのことを何もわかっていないとリーは思ったのだ。それに対しメアリーアンは、リーがアーサーに接近するために嘘をついていたことをアーサーに教えるのだった。リーはアーサーと同じ地区で育ってもいなければ、父親も亡くしていなかった。それどころか裕福な家庭で育っていた。
アーサーがリーに問いただすと、彼女は全ては彼の気を引くためだったと嘘をあっさり認めた。アーサーはそんなリーにますます惚れ込み、公判中に弁護士のメアリーアンを解雇し、裁判は混乱していくのだった。
ジョーカー:フォリ・ア・ドゥのキャスト
- ホアキン・フェニックス
- レディー・ガガ
- キャサリン・キーナー
- ブレンダン・グリーソン
- ザジー・ビーツ
- スティーヴ・クーガン
ジョーカー:フォリ・ア・ドゥの感想と評価
トッド・フィリップス監督による「ジョーカー」の続編。世界的に高評価を得た前作からがらっと作風を変えて見事にコケた大失敗作。ファンを裏切った結果がこれです。
最大の裏切り行為はサイコスリラーだった前作からジャンルを飛び越えて間違った方向に進んだ点にあるでしょう。当然、前作を楽しんだファンは今回も同様のゾクゾク感やジョーカーの狂気を期待していたはずです。しかし実際見てみると、待っていたのはB級ミュージカルだったっていうね。そりゃあ笑えないし、怒られるよ。
どうなんだろう。リアリティー路線にしすぎたのかなあ?アメコミっぽさを極力排除したらただの退屈な映画になったみたいなところもありますね。かといってそれほど現実味があるかというとそうでもなくて、精神病院内はタバコは吸い放題、異性とも遊べて恋愛もできるし、公判中にもタバコが吸えるってどんな世界なんだよって思いました。前作はゴッサムシティの街並みとか野外のシーンが多かったけど、今回は室内シーンがほとんどで絵的にもつまらないものが多かったです。
そもそも多くのシーンが妄想で、現実と妄想を行ったり来たりしてるみたいな設定もある意味手抜きだよね。面白ければそれでもいいけど、つまらない映画でやられてもなにが現実で、なにが妄想かって想像したくないもん。
全く別路線を攻めてきたのでてっきり別の監督が撮ったのかと思ったら、前作同様トッド・フィリップス監督なのも驚きでした。挑戦的なことをしたかったのか、意表を突こうとしたのかわからないけど、やっぱり続編ってファンがある程度期待する線を行かないと失望させるリスク大だからね。ホラー映画の続編がコメディーだったらキレるでしょ? 考えればわかりそうだけどなあ。
見どころはオープニングのアーサー・フレックの登場シーンでしょう。あのガリガリに痩せた不健康な体型と不気味な表情は圧巻でした。でも見せ場といったらそれだけでしたね。ホアキン・フェニックスを全く活かせてなかったし、下手なミュージカルシーンのせいで彼の好演が帳消しになったような印象すら受けました。
レディー・ガガが起用されたのは歌唱シーンの多さを考えてのことでしょう。彼女の場合は歌は上手でいいけど、演技がいまいちだからホアキン・フェニックスとバランスが取れてませんでした。妄想、または精神病を共有できていない気配があってタイトルに負けてましたね。レディー・ガガが歌いながら男といちゃつくっていうところからしてもジョーカーの続編というより「アリー/ スター誕生」の続編って感じもしましたね。
ミュージカルシーンが入ってくるたびに間延びしてしまい、話がなかなか進んでいかないことにイラついた視聴者も少なくなかったはずです。2時間20分ぐらいの長尺なんだけど、音楽で引きのばしてるだけだから内容はまあ薄いです。挙句の果てにはジョーカー本人が「もう歌わないでくれ」ってヒロインにお願いしたりするのが笑えます。こっちのセリフって。
ストーリーがどれだけ薄いかというとざっくり説明したら、アーサーがハーレーと出会って恋仲になって死刑がかかった裁判に挑むっていうだけだからね。そこに前作を越える狂気があるかって言ったらないし。
後半なんて至って普通の裁判ドラマに成り下がるし、そこでも結構な時間を割くんですよ。あれだけ裁判シーンに時間を取ったらもはやただの精神疾患のおっさんの法廷バトルじゃん。ジョーカー、関係なくない? これでDCコミックスの映画と言っていいのかどうか。
ラストシーンは様々な解釈ができそうですね。あの男がネクストジョーカーじゃないのかとか。彼がなんとなくヒース・レジャーに似てるのは、DCユニバースにリンクしていくからだなどといった意見もありますね。まあ、どうでもいいけど。
コメント
個人的にこの作品は前作の影響で起こった事件への尻拭いみたいな映画だと思うなあ。
あえて酷い続編を撮ることで前作への神格化と、前作に感化されてジョーカーの真似事をしようとする人たちの可能性を無くそうとしたのかも。
ラストは結構好きでしたね。
因果応報、やったことは返ってくるみたいなオチで中々面白かったです。
そもそもアーサー自体ただの精神病のおじさんなので、悪のカリスマジョーカーとしてハーレイとゴッサムを大暴れ…なんてシナリオできるはずなかったんですよ。
監督が前作のファンのことが嫌いだからあえて作風変えたみたいな説もありますね
商業映画で監督のお気持ち表明したから大コケしたんでしょうね
大コケでしたね
私はガガがキャスティングされた時点で、この映画は終わったと思いました。
確かに
囚人アーサーが「怪人ジョーカーのファン達は、中の人ことアーサー・フレックに興味を持ってくれない。俺はジョーカーじゃなくてアーサーとして世間に愛されたい」と気づいて、怪人を演じ続けるのを卒業する話ですからね。
ガガとのキスシーンで、わざわざピエロメイクをさせたのが「中の人を愛してない証拠」なんだと思いました。
劇中で度々言われた事件の再現ドラマをアーサー自身が見て「あまりにも美化してる。世間が求めるジョーカー像と現実の自分のギャップ」をプレッシャーに感じるシーンがあれば見たかった。
前作と比べて、ストーリー的な繋がりに脚本的にかなり無理がある。
まともにストーリー組めないから「ミュージカル演出」に逃げた風に感じた。
無理がありましたね