両脚を失った女性が繰り広げる恋と犯罪と生存のドラマ。恋愛映画でもないし、闘病映画かというとそうともいえない、一つの答えを提示しないフランス映画です。57点(100点満点)
君と歩く世界のあらすじ
南仏の観光施設でシャチの調教師をしているステファニー(マリオン・コティヤール)は、ショーの最中に事故に遭い、両脚の膝から下を失ってしまう。失意の彼女を支えたのは、不器用なシングルファーザーのアリ(マティアス・スーナールツ)だった。粗野だが哀れみの目を向けずフランクに接してくる彼と交流を重ねるうちに、ステファニーは次第に生きる希望を取り戻していく。
シネマトゥディより
君と歩く世界の感想
「ディーパンの闘い」や「預言者」で知られるジャック・オーディアール監督による人間ドラマです。
「預言者」のように先が見えないエキサイティングな展開が満載で、ハリウッド映画のように白黒はっきりさせるのではなく、曖昧で掴みどころのない物語です。
面白い映画なんですが、主人公の男女が結構アホなため共感までには至りませんでした。両脚を失い体が不自由になったステファニーがどのように立ちあがっていくのかという視点で見るとすれば、ワイルドな男アリに惚れて、生きる希望を見出したとも言えるでしょう。
その一方で社会から落伍し、まともな職に就けず、悪さばかり働いてきたアリがどのようにのし上がっていくか、という視点で見るとすれば、地下格闘技に出会い、初めて本気になれるものに出会って変っていく、とも言えるでしょう。しかしそのどちらしてもなにかもうひとつ足りないというのが否めません。
ステファニーがアリに惚れたのは今までの男とは違う粗野で無神経で小さいことは気にしないワイルドさに惹かれてのことでしょう。特に両脚を失ってからは周囲が変に自分に気を使うことに嫌気がさし、そんな中自然に接してくれたアリの態度に感動したというのは理解ができました。
その一方でそこそこ女にもモテて近くにいる女なら誰とでもやってしまうアリがステファニーに特別に肩入れする理由がほとんど見当たらなかったです。
女に不自由しないのに、なぜわざわざステファニーと会い続けたのか。また、ステファニーと会っている間も他の女と関係を持ち続けているところを見ると、それほど最初はアリがステファニーに惚れていたともとれませんでした。
アリと地下格闘技との出会いの部分は結構面白いんですが、地下格闘技で勝ち続けて終盤はプロの試合のタイトルマッチに出場するような流れになったのが笑えました。
ストリートで強かったからって、プロでいきなりタイトルマッチできるほど格闘技は甘くないっつーの。あの辺はドラマチックにしすぎましたね。プロデビューぐらいで止めておけばよかったのに。
この映画には「はぁ?」というシーンと、「おぉかっこいいなぁ」というシーンがいくつかありました。「はぁ?」というシーンはほとんどがステファニー発信なのですが、男と同棲している家に他の男を平気で連れてきたり、彼氏を家に置いて一人でミニスカート姿でクラブに踊りに行ったりと結構常識がなくて行動が鼻につきました。
そのくせアリがほかの女を持ち帰りしたら嫉妬に駆られたり、いざアリとやるとなったら「口にキスはしないで」とかふざけたことを言います。
かっこいいなあ、というシーンはアリの無頓着な数々のエピソードです。アリは両脚を失ったステファニーとビーチで会っているときも、「ああ、なんか泳ぎたくなってきた、ちょっと泳いでくるわ」などといって、車椅子のステファニーをその場に置き去りにして、自分だけ泳ぎにいってしまいます。
捉え方によっては失礼な男になるかもしません。でも良く言えばステファニーのことを自立した女だとして接していることになります。
また、他の場面では、ステファニーに「恋人はいるの」と聞かれ、「いないよ」と答え、「ヤリ友だけってこと?」と突っ込まると、正直に「そうだね」と告白していました。あの場面でなかなかあんなに正直に言える男はいません。
さらにアリは、「(両脚を失ってから)まだ身体は感じるのか。感じるかどうかやってみたいか?」などとストレートに聞きます。そして何の気もなしに、両脚のないステファニーとやってしまいます。事が済んだらさらに一言。
「やりたくなったら、いつでも電話してくれ」。
ワイルドですねえ。なんて男らしいんでしょうか。実際にはあの状況でなかなかあそこまで平然とやれる男はいないでしょう。「両脚がない? それがどうした。おれはとにかくやりてんだよ」と言わんばかりです。ああいうのを男の中の男というのです。
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