しらふで見たら理解できないように作ってある感動狙いの友情恋愛アニメーション。ヒロインを障害者にしたら、なんとなく盛り上がるでしょ的なノリで作った不快感と嫌悪感しか覚えない駄作で、鑑賞後いじめられたみたいな気分になる作品です。マイナス100点(100点満点)
聲の形のあらすじ
ある日、将也の小学校に聴覚障害を持った少女、硝子が転向してくる。言葉を話せない硝子はノートを使ってクラスメイトとコミュニケーションを取ろうとするが、生徒たちは好奇心を通り越して、やがて硝子をいじめるようになる。特に将也は硝子を執拗に付け回し、ついに教師や親にいじめのことがバレてしまう。
5年後、高校生になった将也は自殺を考えていた。そして死ぬ前にかつて自分がいじめていた硝子に勇気をふり絞って会いに行った。
二人はぎくしゃくしてまともにコミュニケーションが取れなかったが、その日を境に不思議な友情を深めていく。
聲の形のキャスト
- 入野自由
- 早見沙織
- 小野賢章
- 悠木碧
- 金子有希
- 石川由衣
- 潘めぐみ
聲の形の感想と評価
読者のめいさんのリクエストです。ありがとうございます。
山田尚子監督による支離滅裂メンヘラ学生ドラマ。同名漫画の映画化で、なんとなく悩みを抱えた高校生たちがいじめとか、自殺とか、友情とかについてやたらと感傷的に語っていく薄っぺらい物語。
エモいBGMかけて登場人物が涙を流せば、視聴者を感動させられると思ってる、浅はかな人間が作った作品です。
ベロンベロンに酔っぱいながら製作したとしか思えないほど、ストーリーにつながりと辻褄がなく、雰囲気だけで視聴者に伝わると思っている思考回路と自分勝手さにはため息しか出ないです。
様々な大胆なエピソードをぶち込んでる割には、それに対する解説や伏線の回収が一切ないし、かなり不親切な作りになっていました。例えばこんな設定が説明不足です。
- 主人公の将也が高い橋から飛び降り自殺をしようと考えていた(なんで?)
- 将也は自殺する前に昔いじめていた硝子に会いに行った(なんで?)
- 将也は自殺するのをやめた(なんで?)
- 将也はいつの間にか手話を覚えていた(なんで?)
- 自殺前に将也はバイトして170万円貯めた(なんのバイト?)
- 将也の姉の娘が黒人のハーフ(その設定必要?)
- 将也の同級生の顔に×印が付いている(目ざわりじゃない?)
- 将也にいじめられていた硝子が将也のことを好きになる(なんで?)
- 硝子まで自殺しようとする(だからなんで?)
- 硝子の妹が自分のことを「俺」と呼び、男に間違えられるキャラ(それ必要?)
- 結局最後はみんな友達だよねで終わる(だからなんでってば?)
すごく軽々しく「自殺」という重い題材を使っているのがまず嫌ですね。それも生きるか死ぬかという深刻な問題に直面している割にはその理由や動機がちゃんと描かれていないんですよ。なんだよ、自分は生きてちゃだめなんだって。なに自分に酔ってるの? さむぅ。
高いところから飛び降りようと思ったけど、やっぱりやーめたみたいなノリで話が進んでいくから、そんな奴らの悩みに付き合ってられないじゃないですか。
ちゃんと悩みを掘り下げようとしないから、登場人物たちがなんの問題を抱えて、いちいちあんなに感情的になっているのか、全然伝わってこないのがダメですね。
あと、結局のところみんなが聴覚障害を持った硝子に対して、なんであんなに大騒ぎするのかが謎なんですよ。
いじめ方はひどいし、残酷だし、普通ならとてもあんなことをされて、また数年後友達になろうなんて到底思えないけどね。補聴器を無理やり外されて、捨てられるとかありえないでしょ。一生恨んでもいいレベルじゃん。
それなのに友達どころか挙句の果てにはいじめっ子の将也のことを硝子が好きになっちゃてるし、なんのこっちゃさっぱりでした。
また、将也をはじめクラスメイトたちがいつの間にか硝子のために手話を習得していたり、いちいちエピソードが胡散臭いのが笑えます。手話、舐めんじゃねえよって。それになんでみんながみんな硝子中心で生きてるんだよ。暇人かよ。
ホント、なにからなにまで雑だよね。もしかすると、原作読んでる人はもっと理解ができるのかもしれないけど、映画から入った僕からしたら、なんのバイトしたら高校生が170万円も貯められるのかとか、黒人のマリアちゃんのお父さんは一体誰なのかとか、そもそも将也の姉ちゃんはなんで出てこないのかとかのほうが気になって、メインのストーリーがちっとも頭に入ってきませんでした。
基本的に障害者をものすごく差別して描いているのも気になります。障害者だから学校では当然いじめられるだろうし、自殺も考えるだろうし、あるいは逆にみんながすごく彼女のことを構うだろうし、優しくするだろうっていう偏見の塊でストーリーが成り立っていて、誰一人硝子とフラットに接しないのがバカですね。
こんなにイライラさせられる映画も珍しく、下手したらこの映画自体がいじめなんじゃないのかなって思えてきました。だってトラウマになったもん。二度と見たくないです。
コメント
気持ち悪いは無いと思う、
批判することないだろ別に、文句ばっかり言うんだったら自分で人気の出る物語作れるようになってから言え
プロ野球の試合を観て「なんで打てないんだバカヤロー!」ていう人に対して、「じゃあお前がプロ野球選手になって打ってみろ!」ていう人、私の知る限りでは見たことも聞いたこともない。
なのにどうして映画って、結果的に批判めいた評価をすると、「じゃあお前が作ってみろよ!」てなるんですかね?不思議。
世に出た時点でそれはあらゆる評価の対象となるわけで、個人個人がどう思おうとそんなの自由なわけじゃないですか。
私もこの「聲の形」を観ましたが、ここのHPの管理人さんとほぼほぼ似たような感想を抱いたクチです。でもそれの何が悪いっていうのか?本当日本人って、右へ習いに陥りやすいですよね。w
自分の好きなものを批判されたときに、その人の性格が出ますよねー。ふーんで終わればいいものを、お前が作ってみろよって言っちゃうところが幼稚ですよね。
映画男のただ文句がいいたくてっていうサイト作ったんだから当然この映画好きな人から批判受けることも理解してから作って欲しいです。なのに映画男さんはそれこそ「ふーん」で終わらず「幼稚ですね」で返信してますよね?受け入れる気が無いのに身勝手に軽率な批判しないで欲しいです。
というか「お前が作れよ」って言いたい気持ちすごくよくわかります。映画男さんが批判したような作品も作れないのになんで批判してんだろ?って思いました。サイトは作れるのに映画は作れないですね。というかストーリーだけでも投稿してみて欲しいです。
あと大体全部自分に賛成している人か反論出来る人にしか返信してませんよね?めっちゃカッコ悪いです。真面目に映画男さんの疑問に対して答えてる人がいるのになんでそっちには返信しないんですか?ごめんなさい。理由は分かってます。ただ出来ないけど認めたく無いんですよね。可哀想です。本当に批判しか出来ないのはもはや可哀想です。映画見る時もきっと「どこがへんなんだ?」って必死に探してるんですよね?「すごい!」とかそういうところは全部無視して批判してるんですよね?書けばかくほど勝手ですが可哀想に思ってしまいます。
って言うふうに僕は思いました。
日本人ってほんと自虐が好きですね。自分のこと何人だと思ってるんですか?作者の意図を読み取れずに障害・イジメにしかフォーカスできない浅い国語力の持ち主にはこの作品はうまく理解できないと思います。
くだらん。
主が本当にそう思ってるのかは分からんが…自分が良作に感じたり、駄作に感じたりしたなら、それはそれでいいじゃん、心でそう感じたなら。少々過激な言葉なのは、自己主張したいからでしょ?「この映画最高に良かった!感動した!是非みんなにもみてほしい!」の反対だと思えばいいじゃん。
いじめにしかフォーカス出来ないもなにも、あそこまで執拗に嫌がらせや凄惨な苛めの描写や人間関係のゴタゴタに力を入れてる(フォーカスしてる)物語なら,,,(笑)
あなたこそ、人様のことを「国語力がない」などとディスるなんて、何様でしょう?
虐められたことがある人達orそれなりに倫理観ある人なら、普通は、差別や偏見により起きた虐めの問題性に真っ先に目が向くんですけどねえ。
ちなみに私県内トップ校でトップ取ってるレベルなので、物語から何かを読み取る力は長けてます。
また、作品としても、あれだけ苛めを受け器物損壊(補聴器は50-100万)された側と、幼稚な自身の憂さ晴らしで加害してた側が、何年か後に仲良しこよしなんて、これこそ余りに人間関係の掘り下げが甘いとしか言いようがないんですよねー。
「胸糞悪いなら見なきゃいい」とか言いそうですが、別に映画借りた訳じゃないし、金曜ロードショーでたまたまテレビ付けた瞬間見たくもないのに飛び込んで来て嫌な描写に嫌な気持ちになった場合は、どうなんでしょうね(笑)そもそも論点違いますし。
ノンフィクションで実際に起きた体験談等を伝えるのはともかく、自殺や虐め、障害者・自分と少しでも違う点がある人への差別(作中の登場人物の行動から)など、
明らかに現実にそうした被害を受けている人達に関わることを題材の1つにしているにもかかわらず、何の啓発もなく気分の悪い描写を入れてる,,,。
安易に取り扱うものじゃないのに、フィクション=作者の想像から生み出されたものである時点で、金儲けや道楽・作者の創作意欲を満たす為だけのものなのは明白なんですよね。
現実で起きていることを題材にしているなら、現実にある問題と照らし合わせて考えるのはむしろ自然なことです。
実際、聴力障害や難聴の人達や、虐めという犯罪行為の総称を受けていた側は、基本的に倫理観がちゃんとしているか共感力が高いので(まあここも、それができてない一部除いた作品内の登場人物達についての掘り下げが甘いと感じる点の1つですが)、やはり気分が悪いと言ってるんですよね。
倫理観や現実の問題を知っている人・いじめの被害者だけでなく、特定の層が全体的に胸糞悪く感じるとか、その時点で作品そのものが差別的で問題ありでしょう。
そもそも作品そのものが、道徳や啓発ではないとなってる時点で、お察しです
貴方のような人が虐めるんじゃないですか?
まずネット上で自慢したってかわいそうなだけだからやめといたほうがいいと思う。あなたが考えていることはほかの人も考えています。他の人が書いた考察でも読んでおいたら?
読んでも納得いかないとすれば、それは単純にこの作品がきらいなだけ。バイアスかかりすぎなだけだと思います。
俺も県内TOP校のトップやから発言してもええかな?
>
まずネット上で自慢したってかわいそうなだけだからやめといたほうがいいと思う。あなたが考えていることはほかの人も考えています。他の人が書いた考察でも読んでおいたら?
まさにこれ。おつかれー。ホンマに共感力あるんか知らんけど自信過剰のレイシストやない?あなた自身が。
流石に酷くね?
どう思おうと勝手だが、それを表面化させれば同じ理由で意見されても当然。それが嫌なら黙れ!まさか己の勝手な理由は許容され他者の言葉は受け入れないと?
こう言うこと言ってあなた何歳ですか? 予想13歳
あなたみたいな人日本人にいっぱいいますよねー。
あなたの理論でいくと個人個人が何を思おうと勝手なんでよね?
だったらここは思ったことを書く場なのでなにを書いても良くないですか?
日本人でなくても自分の好きなものをけなされたら大抵の人は「ーーー」さんみたいに思いますよー
いじめってこんなもんじゃない?
いじめられてる側としてはあなたの言う
気持ち悪いはいじめでは当然な事
逆にリアリティあって好きだけど俺は
理解できなかったんだったら複数回みろよ。一度見ただけで全否定とか、小学生の思考と一緒。それだと小説もまともに読めねぇだろ。
なぜ気持ち悪いのでしょうか?意味が分かりません。
感想見る限りあなたの理解力の欠如です
ほんとそれですね!
それな、しょうもない人間なんやろ。
一度しかみてないが、お金は親がピアス売ってまで作った補聴器代でバイトでも土日祝フルで平日も夕方何日か入れば高校生でも扶養抜けないように調整いるくらい稼げるよ。作品の良し悪しより知識をつけよう
姉な
主人公の将也が高い橋から飛び降り自殺をしようと考えていた(なんで?)
→自分で生きてちゃいけない奴だからって言ってただろ
将也は自殺するのをやめた(なんで?)
→母親に言われてただろ自殺やめなきゃ働いた金燃やすって、それで自殺やめるっていってただろ
将也はいつの間にか手話を覚えていた(なんで?)
→なんで?じゃなくて西宮に会いに行くために覚えた
自殺前に将也はバイトして170万円貯めた(なんのバイト?)
→スーパーのバイトちゃんと映画でワンシーンがでてくる
硝子の妹が自分のことを「俺」と呼び、男に間違えられるキャラ(それ必要?)
→そんなこと言い始めたら至る映画でそれいる?ってことになるぞキャラクターの魅力を出すため、そういうキャラでみてほしいからそういう設定なんだろ
ただ批判するだけのために無理やり理由集めてるだけやんけお前
映画ちゃんと見ろよw
こんなやつとは絶対映画みたくないわ
だからそれぞれの理由が浅いんだよって。なんだよ、俺は生きてちゃいけない奴なんだって。あんな理由で自殺しなくちゃいけないんだったら全員死亡だよ。自己陶酔にもほどがあるんだよ。自殺やめなきゃ働いた金燃やすって言われたぐらいで、「はい、やめます」っていうぐらいの悩みの深さなのかよ。だったらそもそも自殺なんて考えるんじぇねえよ。くっだらねえ。
スーパーのバイトで高校生が170万円ためるのに何年かかるよ?貯まる頃には高校卒業してるわ。西宮に会いに行くためにさくっとおぼえられるほど手話簡単じぇねえよ。舐めんなよ。ちゃんと見るとかの前に設定が全部穴だらけなんだよ。
親も心配してたことに気づいたんだよ。金だけじゃ無いからね。原作しっかり読み直してから映画みてそっから理解してね。それでわからんなら教えることがないね。それほど馬鹿だから
それは違くね?映画の評価してるのに何で漫画読めってなるのかわからない。漫画の大事な部分拾えてないのなら映画としては失敗ってことじゃん
ほんとその通りですよね。
まだ色々と複雑な年齢だろうとかそういうこと考えれないのかね。いい歳こいた大人が。そういうシーンで上手く表現してるんじゃないのか。「みんなが聴覚障害を持った硝子に対して、なんであんなに大騒ぎするのかが謎なんですよ」」だの、なぜか大人であるはずのおじさんが小学生と同じ立場で話してるんですよw これに関してはマジで痛すぎる…。 170万という十分な大金を、ましてや高校生が稼ぐにはお前の言う通り何年もかかるんだよ。それをわかってるくせして、「燃やすって言われたぐらいで」てお前なんなんだよ。親にお金を返すために170万貯めるだけでも十分偉いでしょ。手話だって実際どれくらい取得に時間をかけたのかとかは分かんねーだろうが。何が「舐めんなよ」だよお前が舐めんな。「普通なら友達になろうと思わない」だの「一生恨むレベル」だの、知らねーよ。
この映画では、それでも本人が許してくれてそこから友達になって話が広がっていくんだろうが。お前が実際いじめられたらこうこう、普通はこうこうみたいな話はどうでもいいんだよ。批評は自由だがお前のを見てると、お前は心もなにもないような辛口という名のただの文句しかない人間のクズだということがよく分かる。
は???
お前みたいに人の気持ち考えられないやつが自殺の原因作ってるんだろうな
理由がてめーにとっては浅いと感じることでも相手にとっちゃ死に値することがあるって考えられないの?
そもそも自殺したいって思ってたんならとっくに石田は消えてんの
どっち付かずでどうすれば良いかわからないとか留まる理由を探してたとか…言葉にするのは難しいけど色々あるだろ!
てめーみたいなやつが自殺を語るな!自殺に至るほどの悩みは当人達にとっては下らなくなんかないんだよ!
手話だって5年もありゃ簡単な会話なら覚えられるだろ!現に幼い子だってちゃんと手話できる子いるし…
ただ確かに高校生で170万稼ぐのは無理だろっていうのは思ったわ
このブログを読んでから映画を観返してみましたが、主人公がバイトしてたのはホームセンターに見えますね。スーパーのほうは、自殺をやめてから働き始めたバイト先でした。
貯金170万については、仮に時給900円、平日放課後に4時間のバイトを月20日、2年間続けたとしたら、
900円×4時間×20日×12ヶ月×2年=172万8千円ですから、あながち無茶な金額とも言えなそうです。
主人公の将也はいま高校3年の春という設定なので、高1〜2の期間をバイトに明け暮れたのですかね。
土日のシフトに入れば1日8時間働けますし、あとは親からの小遣い(お年玉とかも?)も、ずっと使わずに貯金していたような描写もありますね。
将也が自殺を決意したのは中学生の頃です。島田(かつては親友だったけれども、主人公をイジメたりシカトするようになったキャラ)に対して、勇気を出して「この新譜のCD貸してあげるよ」と声をかけて友情を取り戻そうとするも、完全に拒絶されて絶望してしまいました。
「一度失ったものは決して取り戻せない。自分にはもう友達を作ることはできない。生きててもどうせ一生孤独なのだ。どうせ最後には死ぬのだから、わざわざ不幸な人生を長々と生きるより、いま死のう」という気持ちですかね。
高3になった将也はすっかり気弱な性格になり、対人恐怖症のようになっています。自分は学校で浮いていて、クラスメートはみんな自分の悪口を言っている、というネガティブな妄想に囚われています。
実際はそれが妄想にすぎないということは、さりげないシーンで示されています。教室の窓から飛行船が見えた時、窓際に集まったクラスメート達のひとりが、将也にも「おい、見てみろよ」みたいな感じでフツーに話しかけています。でも、心を閉ざしている将也の耳には、クラスメートの声は聞こえていません。
このあたりの描写は巧みだなと思いました。硝子のように難聴というわけではないのに、将也は心を閉ざしているせいで他人の声が聞こえないわけです。
将也を苦しめているもうひとつの感情は、罪悪感です。硝子にひどいイジメをしてしまったこと、そして、(筆談ノートや手話や握手や拙い肉声といったさまざまな努力をして)何度も自分と友達になろうとしてくれたのに、それを聴き取る努力を一切せずにことごとく拒絶してしまったこと、硝子の体も心も傷つけたであろうことへの罪悪感です。小学校時代の硝子は、それでも将也の机に書かれた悪口を拭き消したりしてくれていましたが、その思いやりにも気づかず将也はつかみ合いのケンカまでしてしまいました。
高校生になった将也の「俺って、生きてちゃダメな人間だから」というセリフは、このあたりの罪悪感から来ているものだと思います。生きる資格のない、どうしようもないクズだと、ずっと自分を責め続けているわけです。
さて、中学生時代に自殺を決意した将也ですが、なぜすぐに死ななかったのか。
それは、死ぬ前に最低限の償いをしておかなければならないと思ったからです。具体的には、補聴器代170万円を母親に返すことと、硝子にきちんと謝罪をすることです。
高校生が無駄遣いもせず170万も貯金するのはフツーなら考えがたいことですが、将也にとってはそれは罪滅ぼしであり、死ぬための準備だったということです。
手話についても、中学生の頃に勉強を開始したのなら3〜5年くらいは学んでいることになります。罪悪感が深ければ深いほど、バイトにせよ手話の学習にせよ、懸命に打ち込んだことが想像されます。
ではなぜ、将也はそこまで思いつめていたにもかかわらず、結局自殺をやめたのか? 母親に「170万を燃やすぞ」と言われたからではありません。母親と会話する前から、すでに将也は心変わりしています。(母親に「なんで死のうと思ったの?」と尋ねられた将也は、「これでも色々あったんだよ。でも今はもう…(死ぬつもりはないよ)」と答えています。母親が最後まで話を聞かずに逆上してしまったので、ああいう展開になりましたが。)
将也が自殺をやめたのは、硝子と再会した時です。将也は、謝罪するために硝子に会いに行ったのに、逃げられて動揺したこともあってか、無意識のうちに「お前と友達になれるか?」と尋ねてしまいます。
それを聞いた硝子は涙を流します。その涙を見た将也は「泣かないでよ、西宮」と言います。おそらくはこの「硝子に泣いてほしくない、幸せであってほしい」という思いが、硝子自殺未遂前までの「将也の生きる動機」になります。この間の将也の内面は、「硝子のことは大事。でも自分は生きる価値のないクズ」という感じです。「生きていたいわけじゃないけど、硝子の幸せのために、できることは何でもやろう」という感じで、消極的ながらも生きることを選びます。そして硝子のために、佐原(小学校時代の硝子の(唯一の?)友人)を探し出したり、身を挺して硝子の自殺を救ったりします。
硝子の自殺未遂後、橋の上で再会した将也は、ようやく硝子に過去のことを謝罪し、ずっと硝子の心の声を聞こうとしてこなかったことを謝罪します。(将也は「硝子のために」と思って行動していたつもりだったけれど、実は硝子の思いを一切汲み取ろうと努力しておらず、結局、硝子が投身するまで彼女の心の苦しみに気づいていませんでした。)
将也は、硝子だけでなく皆の心の声に耳を傾けなから生きていく決意をします。つまりは、生きることを積極的に選択します。そしてその上で、硝子に「生きるのを手伝ってほしい」と言います。硝子投身後の将也は、「硝子のことが大事。そして自分自身のことも大切にしていく」という気持ちに変わったわけです。
「生きるのを手伝ってほしい」という言葉が硝子の心に深く響いた理由を理解するには、硝子の内面を深く読み取る必要があります。
硝子もまた、将也と同様に自罰的で自己肯定感が低く、「自分は存在していてはいけない人間だ」という思いに囚われた性格です。佐原がイジメの標的にされて不登校になったのも、合唱コンクールで入賞できなかったのも、将也がいじめられっ子に転落したのも、すべて自分のせいだと考えています。自分が転校してこなければ、これらの問題はひとつも起こらなかったのに、と。
将也は、筆談ノートを校庭の池に投げ捨てます。硝子は、一度はそれを拾い上げたものの、自分で再度捨ててしまいます。この時を境に、硝子は他者と深く関わり合おうとすることを諦めました。筆談ノートは「他者とコミュニケートする意思」の象徴であり、それを自分から手放したわけです。帰宅後、硝子は妹に対して「死にたい」と手話で伝えます。(グーの形にした左右の手を上下に重ねるポーズがそれに当たるのですが、手話の知識がないと理解できない上に、このシーンは「妹がいまだにうなされる悪夢」として断片的に描写されるのみなので、二重の意味で読み取りづらい構成になっています。)
その後、妹は姉をイジメから守るため、男のように振る舞うようになり、学校にも行かずに生き物の死骸の写真ばかり撮るようになります。「死」が醜いものだと見せつければ、姉の自殺願望を取り除けると信じているからです。
このようにして、硝子は他者と深く関わることを諦め、自殺願望を胸の奥に秘めたまま、閉じられた狭い人間関係(家族など)のなかで消極的に生きていくのですが、そんな硝子のもとへ、高校生になった将也が筆談ノートを手渡しに来ます。前述のとおり、このノートは「他者と関わろうとする意思」の象徴です。ノートを受け取った硝子は、5年の時を経て、ふたたび積極的に他者と関わろうとする意思を取り戻します。
硝子の視点からは、将也はどんな人に見えているのでしょうか。映画を観ている私達は、「将也=イジメっ子」、「硝子=イジメっ子をすぐに赦せてしまう聖人みたいな(現実味のない)キャラ」と捉えがちですが、上記のとおり硝子はかなり屈折した感情の持ち主です。硝子は「自分は、関わる人を不幸にしてしまう」という加害者意識に囚われています。ですから、イジメを受けたことについても、相手を恨むというよりは「自分が悪いのだ」と考えてしまう傾向がありそうです。おそらく、硝子にとって将也とは、自分のせいで友達を失い、いじめられっ子に転落してしまった人。小学校時代、最後まで自分を無視することなく、曲がりなりにも(時にはつかみ合いのケンカにもなってしまったけれども)自分に関わろうとしてくれた人(?)。筆談ノートを5年ものあいだ大切に持っていてくれた人。自分のために手話を覚えて来てくれた人。佐原という友達に再会させてくれた人。永束(ながつか)などの友達を連れてきて、交友の輪を広げてくれた人。諦めていた「他者と関わろうとする意思」を取り戻させてくれた人。「生きる楽しさ」を取り戻させてくれた人、といった感じになるのでしょうか。(硝子の内面をこう想像すると、唐突に見えた告白シーンも、それほど唐突ではないように思えます。)
そんなふうにして、色彩を失っていたかのような硝子の人生が、将也のおかげで華やいでいくわけですが、硝子への過去のイジメに関する口論が引き金になって、将也は結局また友人をすべて失ってしまいます。硝子はそれを自分のせいだと考えて苦しみます。(将也は将也で、それを自分のせいだと考えて苦しむのですが。)硝子はふたたび、「やはり自分に関わった人は不幸になってしまうのだ」という思いに強く囚われます。しかし2人は、お互いの胸の内をさらけ出して語り合うことができず、ただ当たり障りのない会話しかできません。
養老天命反転地でデートするシーンで、2人の距離がだんだんと物理的に広がっていく描写は、広がっていく心の距離を反映しているようで、個人的にはとても巧みだと感じました。2人とも、表情もずっと曇りっぱなしです。
そしてこのデート中に、将也が坂ですべって転びます。立ち上がるのを助けようと、硝子が手を差し伸べます。将也は心配をかけさせまいとして「ひとりで立てるから大丈夫」と言います。おそらく硝子はこの時、「どんな時も自分は、将也の助けとなることはできないのだ」と感じたのだと思います。大げさに言えば、自分という存在はこの世界にとってマイナスでしかなく、プラスにはなり得ないのだ、自分は不要な存在なのだ、と結論づけたと言えるでしょうか。この時、硝子は自殺を決意したのではないかと思います。そして将也に、「私といるとあなたは不幸になる」と告げます。将也は必死で否定しますが、硝子の表情は逆光のせいでまったく見えません。硝子の自殺念慮を将也が読み取れていないことを表している、非常に印象的なシーンだと感じました。
この時を境に、将也は不自然なほど明るく振る舞い始めます。「私といると不幸になる」という言葉を否定するために、「あなたといて僕はすごく幸せですよ」とアピールするためでしょう。一方の硝子も、不自然なほど穏やかに笑うようになります。そして誰にも悟らせることなく、死ぬための準備を始めます。具体的には、硝子の母親と将也の関係を改善させるために、母親の誕生日パーティーに将也を誘ったり、花火大会にも誘ったりします。また、不登校の妹がスムーズに学校に馴染めるようにと、妹の撮っている写真を勝手にコンクールに応募したりします。(このあたりの、死ぬ準備(自分なりの罪滅ぼし)を積み重ねていくシーンは、映画冒頭の将也の死ぬ準備をリフレインしているかのようです。)
そして花火大会の日、将也が口にした「来年の誕生日は一緒にお祝いしようね」という言葉にも、別れ際の「またね」という言葉にも、硝子ははっきりと答えることなく、笑顔のまま去っていきます。自分なりの罪滅ぼしを終えた硝子は、綺麗な花火を見ながら、(おそらくは)「辛い人生だったけど、決して悪いことばかりじゃなかった」という少しばかりの満足感で自分を慰めながら、ベランダから身を投げます。そして、それを救った将也が、身代わりとなって落下します。
硝子は、「将也に大ケガをさせてしまったのは、自分が変わろうと努力しなかったからだ」と考えます。「自分が人間関係の輪の中に入ろうとすると、人間関係を壊してしまう」という思いに囚われて、小学生の時と同じように、また人と関わることを諦めて自殺しようとしてしまった。でも、今度こそ、途中で諦めることなく、人間関係を築き上げる努力を最後まで続けよう、と。
そうして硝子は、バラバラになった仲間達の元を回り、人間関係を修復していきます。これは、以前の友人関係が硝子にとっては(将也に集めてもらった)受動的なものであったのに対して、今度は自分自身で働きかけることによって構築することができた、能動的な友人関係です。また、将也が回復した時に、彼がスムーズに友人達と関係を修復できるようにしておくための下準備という目的もありました。
目を覚ました将也は、橋の上で硝子と再会します。そして包み隠さず互いの思いを明かし合います。その上で、「生きるのを手伝ってほしい」と伝えます。この言葉には2つの重要な意味があると思います。まずは、「私はこれからは心を閉ざすことなく、前を向いて、他者の顔をちゃんと見て、他者の声をちゃんと聞きながら生きていきます。幸せになることを目指して生きます」という宣言だということ。硝子は、将也がすべての人間関係を絶って、硝子だけと仲良くしようとする「閉じた生き方」を、不幸な生き方だと思っていました。(この生き方が幸せだと思っていたなら、自殺することを選ばなかったはずです。)硝子は、周囲の人達ときちんと親交を結び、開かれた関係性のなかで生きていくことが本当の幸せだと感じていました。だから将也は、これからは前を向いて生きることを宣言する必要があったわけです。そしてもう一つの意味は、「前を向いて生きるために、あなたの助けが必要です」というメッセージです。硝子は、自分のことを不要な人間だ、皆を不幸にする人間だと思っています。その硝子に対して、「私が幸せな生き方をするために、あなたが必要なんです」と伝えることは、あなたは不要な人間なんかじゃないし、他者の幸せに貢献できる人ですよ、と伝えて、硝子の存在を全肯定することを意味します。「生きるのを手伝ってほしい」という言葉は、将也が硝子の心の声をしっかりと聞き取ったからこそ言える、素敵な言葉だと思います。
映画のラストは、将也が学校中の人の顔に付けていたバッテンを外し、「ちゃんと顔を見て、ちゃんと声を聞く」というシーンで終わります。聞こえてくる声の中には、「よく学校に来れるよな」というヒドイ言葉もありますが、将也はそれさえも正面から受け止められるようになりました。
この作品のテーマは、「ちゃんと見る、ちゃんと聞く」つまり「人ときちんとコミュニケーションを取る」ということです。
この作品において、聴覚障害というのは、コミュニケーションの難しさを表現するためのひとつの形にすぎません。心を閉ざしていた時の将也は、難聴ではないけれど人の声を聞くことができませんでした。また、植野というキャラも、一見すると、積極的に人と関わることのできる、コミュニケーション能力の高いキャラに見えますが、実は他人の考え方を勝手に憶測して「あんたはこう考えてるんでしょ」と決めつけてしまう人物として描かれています。結局は、相手の心の声が聞こえていないのだということです。(物語の最後では、ちょっとしたことでまた謝る硝子に対して、「また謝ってる。ま、それがあんたか」と言って受け入れていますし、「バカ」という手話をわざわざ覚えて、素直ではないながらも歩み寄る姿勢を見せていますので、精神的に多少なりとも成長したことは読み取れます。)
余談ですが、原作者の母は手話の通訳者だそうで、原作者は子どもの頃から手話に接していたそうです。ですから、「扇情的なストーリーを作るために、取ってつけたように聴覚障害者をヒロインにした」というわけではないのでは、と推測します。硝子を、ステレオタイプな障害者のではなく「独自の個性を持ったひとりの人間」として、とても丁寧に描いていらっしゃると感じます。
この作品に触れるまで、聴覚障害にはいくつか種類があるということも、私は知りませんでした。単純にボリュームが小さく聞こえる方もいれば、言葉が「#^*な#*£$$めり#<<*=%」といったように崩れて聞こえる方もいらっしゃるそうです。
そのことを知った上で本作を観ると、小学校時代のシーンもさらにリアリティが増します。植野が硝子の補聴器を見て、「本当は聞こえてるってこと?」と尋ね、それ以来イジメを悪化させる場面があります。植野は「聞こえてるのに聞こえないフリして、人に助けてもらったり大人の同情を買って味方につけようとしたりして、ズルイ奴」と解釈したようですが、実際の硝子は、おそらく後者のタイプの難聴なのだと思います。このタイプの難聴の方は、補聴器を付けても、崩れた音が大きく聞こえるだけなので、実際には口唇術なども駆使しながら相手の言葉を読み取るそうです。(補聴器を付けるのは「車にひかれないようにするため」とか、「音のある世界にいたいから」という方もいらっしゃるそうです。(もしこれを読んで気分を害された聾者の方がいらっしゃったら、すみません。)
植野と硝子の溝が深まってしまった要因のひとつが、聴覚障害に対する無知であるという設定も、このイジメの風景にリアリティを与えているように思いました。(観る側に予備知識がなければ分からないようなリアリティですが。)
また、皆が暇人で硝子のことを構っているわけではなく、実際に硝子に強い興味を持っているのは将也と妹(ゆづる)くらいのように見えます。植野は、分かりづらいですが実は将也に恋愛感情を抱いています。(猫のポーチを将也が硝子にプレゼントしていることや、将也が硝子と会話するために手話を身につけていることを知ってショックを受けているシーンあたりから察する必要があります。)ですから、植野がやけに硝子に関わろうとするのは、おそらくは嫉妬心のせいであるように思えます。本当の興味の対象は硝子ではなく将也だということです。
長くなりましたが、私の所感としては本作は「(各キャラの性格も含めて)設定は作り込んであるけれども、それを分かりやすいエピソードやセリフで説明したりはしない映画」という感じです。何度も観ないと分からない映画かもしれませんが、そういう映画もあっていいんじゃないですかね。
長文すみません。
いや何か自殺理由が浅はかとか言ってっけどちゃんと登場人物の感情表現とか理解してるのかな?何も考えてない馬鹿がこの映画見ても「は?」ってなるかもしれんけど映画が好きなんなら理解して欲しい、それに最初の「あんな理由で自殺しなくちゃいけないんだったら全員自殺だよって」言ってるけどお前自分の考えと人の考え同じだと思ってんのか?もうちょっと考えて観ろよ後悩みが浅いんじゃなくて親にバレて心配を掛けたくなかったんだろ、次は「スーパーのバイトで170万貯めるのに何年掛かるんだ」とかバイトによるでしょそれから「西宮に会うために手話覚えるほど簡単じゃねぇよ、舐めんなよ」これはそれ程西宮に会いたかったって事だろ。今までの言動見てて分かるけど理由が浅はか以前にお前の考え方が浅はかだが?設定が穴だらけなのは視聴者が考えるから面白いんだろ言ってもちゃんと観てたら理解出来るけどな?
高校生でも平日土日も働けば卒業する前に十分稼げますよ。170万円。
手話もある程度なら覚えられますよ。
間違いない!!笑笑
→自分で生きてちゃいけない奴だからって言ってただろ
だからなんでそう思ってるのか、ってのを聞きたい。
自殺やめなきゃ働いた金燃やすって、それで自殺やめるっていってただろ
→自殺考えてるやつに金なんて必要ないだろ。それ燃やされるから自殺止めますになるわけない。うがった見方をすれば、主人公は本気で自殺する気なんかなかった、という表現なのかもしれないがw
それと、こっちにも解説付けてくださいよ。
・将也にいじめられていた硝子が将也のことを好きになる(なんで?)
・硝子まで自殺しようとする(だからなんで?)
・結局最後はみんな友達だよねで終わる(だからなんでってば?)
Hasidicさんの長文読めばわかるかとばっかですよ。
もし見てわからないのでしたら国語力を磨きましょう!
マイナス100点とは、さすが辛口サイトです。私は硝子がかわいいのもどうかと思いましたし、障がいだから、いじめられるんでしょ?って感じがしました。昔は好きだったんですけど、今見ると、あれ?これいじめっこを美化してない?って思いました。結局顔がダメだったら、忘れるんだろ?って、思ってしまいます。
美化しまくりですよね。いじめられるのが当然みたいな描かれ方でしたよね。
いじめられても仕方ないと思います。
あなたは人間を美化しすぎです。
ほんとその通り。原作既読。
自殺する理由にしても何でも、すべてが浅い。
主人公も作者も思いつきで行動してるんだろうねぇ…。
ファンが「それが青春だ!」とか言いそうで怖いわ・・・(笑)
今の時代、この浅さが受けるんですかね。僕には理解できませんが。
聾唖の人間でも全ての人が手話を理解しているわけではない等の現実を踏まえると、この映画の手話の描写は杜撰でリアリティがなく、とってつけたような障害者描写を加えただけの青春ファンタジーとしか言いようがありませんでした。
映画男さんの仰るように、習得の困難さを無視するかのような物語を作る作り手たちははっきり言って手話を舐めてると思います。
完全に舐めてますね。高校生が片手間で覚えたみたいな感じが腹立ちますね。
リクエストしました。ありがとうございました!
未来のミライよりはマシなんじゃないかと期待していたのにまさかのマイナス100点!!
いや、むしろトラウマレベルの胸糞悪さを抱かせ感情を揺さぶったという意味では逆に評価できるかもしれません。
20点超の映画をリクエストできるように頑張ります!
リクエストありがとうございました。次は面白いのをお願いしますね。
この映画をきちんと見た人なら将也が自殺しようとした理由などになんで?と思ってしまうようなことはないはずです。批評をするならまずしっかりと見て、考察してからにしてください。腹が立ちます。
あと、将也は3年生で一人暮らしでもないので170万円くらい貯められても全くおかしくないと思います。
毒吐きますね〜。カッコいい・・・
ヒロインは「加害妄想」がある設定があるらしく、何でも「自分が悪いんだ!よく分からないが自分のせいなんだ!」と自虐してしまう性格らしいです。
逆に「俺は悪くない!アイツのせいだ!社会のせいだ!運のせいだ!」と思うタイプの人とは相性が悪い映画 って考察を幾つか見かけました。
理解でき無かったんだったらもう一回見るぐらいの事考えろよ。一回見ただけで全否定とか小学生の思考と変わらない。しかも作品に対して気持ち悪いとか、批評なんてするべきじゃあ無いと思う。
この糞ブログの様に、ろくに理解も出来ず、障害者って所にこだわって得意顔のウザい批判。公開当時から腐る程見て来たわ。ちょうど感動ポルノって言葉が流行ってたしな。
3年もたって今更かよ。元々賛否両論有る作品だし、お前の趣味に合わなかっただけだろ。薄っぺらなブログ、時間の無駄したわ。
人それぞれ意見や感知感があっていいと思う
ただ批判する立場ならなんで?とか疑問点あるなら調べたり考察した上で評価するべきやと思うんやけどな
見る人間よっては浅くも深くもなる映画やと思うよ
しかし、声優の早見沙織さんの演技は素晴らしかった
私が貴方の疑問、解決いたしましょう。
主人公の将也が高い橋から飛び降り自殺をしようと考えていた(なんで?)
→将也は小学生のころ、西宮をいじめた後、自らがいじめの標的になったのはご存知ですよね?
それでいじめの罪の重さ、辛さを経験し、自己否定を繰り返して生き甲斐もなくし、生きる意味が彼にはありませんでした。よって、自殺を決意します。
将也は自殺する前に昔いじめていた硝子に会いに行った(なんで?)
→自分がいじめられ、しかし硝子だけが味方であったために、心のどこかでずっと硝子に謝りたい気持ちがあったのでしょう。自殺をする前にそこをスッキリとさせたかったのです。
将也は自殺するのをやめた(なんで?)
→硝子が生き甲斐となっていったためです。彼には友達1人居ませんでしたからね。
将也はいつの間にか手話を覚えていた(なんで?)
→前述した通り、心のどこかでずっと硝子に謝りたかった(話したかった)からです。
自殺前に将也はバイトして170万円貯めた(なんのバイト?)
→ご覧になればわかるかと。
将也の姉の娘が黒人のハーフ(その設定必要?)
→そうですね…原作にはちゃんと描かれてあったのですが、確かに説明なしだと疑問に思う方も居るかもしれませんね。ですがまあ映画から私は入りましたが、何も疑問を抱かなかったため、それは個人がどう思うかですね。
将也の同級生の顔に×印が付いている(目ざわりじゃない?)
→そうは思いませんでした。自分の殻に閉じ籠る表現としては素晴らしいと思います。
将也にいじめられていた硝子が将也のことを好きになる(なんで?)
→それは硝子にしかわかりません。小学生の頃から将也とは友達になりたかったからってのも含まれると思います。(同じ「しょーちゃん」呼びで親近感を持ったからか将也とは友達になりたかった)
硝子まで自殺しようとする(だからなんで?)
→上野の言葉を覚えていますか?「あんたのせいで滅茶苦茶になった」
この言葉通り、硝子は自分が居ると皆のストレスが溜まり、周りの友達の関係を悪化させるため居なくていい存在だと思ったからです。
硝子の妹が自分のことを「俺」と呼び、男に間違えられるキャラ(それ必要?)
→これも原作を読まないと理解できない方もいるかもしれませんね。硝子は障害を持っているために、ずっといじめられてきました。それを守るために結弦は自らを男っぽくしていじめっこを追い払うようになりました。
まあ最初は私も男かと思いましたけどね。男かと思ったら女 その段階が面白いから良いじゃないですか。
結局最後はみんな友達だよねで終わる(だからなんでってば?)
→ここは将也が自分の周りには自分を想う人たちがちゃんと居ることに気付く演出です。
1人で孤独に生きてきて自殺を考えた将也が、大切なものに気付くのです。
疑問は解消されましたか?
わざわざありがとうございます。そもそもなにかつらいことがあったら即自殺のように、自殺を軽々しく描いている時点で、どんな説明をもってきても、僕の疑問は解消されることはないと思います。この映画の問題点はすべてを必要以上に感傷的にしている点です。
友達に教えてもらってこの映画を見て、なにも思わなかったってことはないけれど、なにを思ったかと言われると答えられない。
だからとりあえず感想や考察を調べてみたら、賛否両論ということがわかった。
いい映画と思うのも、納得がいかないと思うのもどちらもあって、私はどちらでもあるし、どちらでもないのかもしれない。
受け取る側にそう思わせてしまう映画自体がそもそもどうなんだろう。受け取った側が一人一人思うように解釈してくださいね、っていう言い方を変えると最後はこちら側に投げてしまうのはいいのだろうかと、内容以外のことが気になり始めてしまった。
話が逸れてしまったし、なにを言いたいのかぐちゃぐちゃになってしまったけれど、とりあえすば、他者の意見
共感できることもできないところも、知ることができたのはとても良かったです。ありがとうございます。
この映画の場合は解釈を視聴者にゆだねるというより、そもそも解釈する気も起らないのが問題です。
自殺を軽々しく考えてるってのはあるかもしれないですけど、つらさの度合いによっては即自殺もありえるかと。
私が個人的に思ったのは映画男さんのこの返信のコメントの考え方っていじめっ子の考え方ですね。
人の気持ちを考えていないと言うか一度理解出来なかったからと言ってもうち一度理解しなおそうせずアンチしてるだけって感じですよね。
生意気にごめんなさい。人それぞれ色々な考えがあっていいと思います。
強いて言うならもう一度見直してみたらいかがでしょうか
明日、池袋で再上映があるため、逆に否定的な意見を読んでみたくなり「聲の形 つまらない」でググって一番上にヒットしたこのサイトの感想を読みました。
だいたい求めていた通りの、共感性と読解力、想像力の欠如による浅いレビューを読めて、満足です。
なかでも、この「。。。。」さんのコメントは、本レビューの本質を言い当てていて、
こういう的確な言い方ができるようになりたいなと思わされました。
横からすみません。
ちょっと気になる一言があったので。
私は映画男さんの考え方をいじめっこの考え方だとは全く思いませんでした。
むしろ、この作品も含め「いじめっことは」の捉え方が根本的に違うのだなと、このコメントで気づかせてもらいました。
私は、耳の痛い言葉、厳しい批判をすることが「いじめ」だとは思わないし、言いにくいことを正直に言うことを「いじめっこの考え方」とは思いません。
たしかに、いじめられる側に取っては「いじめ」=強い立場が弱い立場をいたぶる、ことをされたら、相手がどんな人間であっても「いじめ」です。
しかし私は、いじめの中にも、まだ救いのあるいじめと
救いのない、どうしようもないいじめがあると思います。
そして、この映画で描かれたいじめは、救いのないいじめであったし、あの黒い髪の女の子とメガネの女の子は、特に悪質なタイプだと思いました。
救いのないいじめをする子は、他人の気持ちを理解できず、
都合の悪いことはいつも他人のせいにします。
だから反省をしません。
そして被害者意識が強い。
そのため、弱者をいじめるということを繰り返して生き続けます。
黒い髪の女の子は、ヒロインを自殺に追い込んだのに、たまたま主人公によって助けられたのをいいことに、謝りもせず、むしろなぜかヒロインを責める側に立っていたことにびっくりしました。
悪質ないじめっこは、他人が苦しむ姿を見ても平気だし、だからこそ執拗に追い詰める。
そして反省しないし責任転嫁するから、こういう人と関わったら、いつも責任感が強い人や優しい人が損をすることになる。
はっきり言って、主人公やヒロインのようなタイプが関わってはいけない人種だと思います。
それを思うと、映画を見て鋭い言葉ながらも、正直な感想を述べているに過ぎない映画男さんの考え方を、いじめっこの感想だと決めつけるのも、やや危険な考え方ではないかな?と思いました。
自分の意見と合わないと、価値観の押し付けだ、いじめだ、とか言う人多いですよね。
ここで言わんとする「いじめっこ」とは、単に汚い言葉や浅慮な正直さそのものではなく、それらが生まれるに至った原因となる気質・・・つまり、理解力と共感性の欠如を指しているのではないでしょうか。小学生など情緒が発展途上にある子供たちは、これらが欠如する故にいじめを行います。
文体や言葉使いの幼さだけでなく、そういう精神的「幼さ」のようなものを、私もこのページの感想文を通して感じました。
まさか自殺がそんなに重いものだと考えていらっしゃるので?
なんらかの後悔や苦痛に気づいてしまえば、人は簡単に自殺ぐらい考えますし
助けがあればすぐに止めます
実行までには至りませんが
自分自身の価値を喪失してしまったら
これまで感じていた死の恐怖なんてすっと消えてしまうものです
自分はそれほど深刻でもない理由でうつ病にかかった経験がありますが、希死念慮がこんなに軽々しく湧き出るものとは思ってもいませんでしたよ
周りの人にとって軽いことでも自殺する人にとっては重いことなんだよ( ゚σω゚)
即自殺するやつが多いからこんなに自殺者がいるんだよ(´ω`(⊃*⊂)⊂3
自分の発言を省みることができず批判したい気持ちを抑えられないいじめっ子には到底理解できない作品なんだよ(°σ¨_°)
疑問は解消されましたか
思春期の子供は思想も感性も未熟で、大人からすれば些細な事でも感傷的な反応をする事もあり、その行為により周りにどんな影響が出るかをよく考えずに無責任に自殺を考える事もあります。
この映画に対する映画男さんの批評はそういった未成年者の思想の幼さや未熟さといったものを無視して、すべての年代の人間が一様に教養のある大人の判断が出来ないとおかしいと言っているような違和感を感じます。
逆にこの映画の良かったと思ったところはどこですか?
よかったところがあったら、マイナス100点つけてないですね。
現実味があること そんだけで自殺?とか言う奴いるけど普通にそれはお前の考えだろ、君の名はと同時期出たから君の名はに押されてるけどそこを否定する必要なくね
これだけたくさん映画見てきてこの感想はすごいと思います。
あなたがこの映画に持った疑問を見てすぐに、批評するにあたって最低限必要な読解力を持ち合わせていないのがわかりました。一年以上前の記事とはいえ、自身の無知と無明をこの広大なインターネットに公開する度胸は認めようと思います。
これからもたくさんの映画を見て野犬の糞のような批評をなさってください。
今回この記事を読ませてもらった最初の感想は驚きと怒りでした。人気があり、自分もかなり好きだった映画だし、支えになっている映画でもあり否定されたと感じたからです。ただ映画男さんの主張を考えていくと一理あるということもあれば違うと思うところもありましたのでコメントさせていただきたいとます。
まず、自殺の扱いが雑だというのは
賛成です。硝子の自殺のシーンなんか自殺としては美しすぎます。花火が上がっているときに、美女が美しく自殺してゆく。文科省はこの映画とコラボしていじめや自殺の防止に役立てようと考えているようですが、これでは逆に自殺を助長する可能性があると感じます。自殺はもう少し、グロテスクで地味で残酷なものだと思います。
また、ラストもみんな友達で仲良くというのは少し飛躍し過ぎていると思います。河合なんかほぼ変わっていません。
壮大な音楽で納得させられたいたんだと感じました。論理ではなく、曲や映像を使って感情に直接訴える方法はメディアや権力は使いますが、芸術としての映画としてはもう少し論理を練った方が良いかと感じました。
しかし、反対の部分もあって、映画男さんが挙げられていた説明不足だという最初の10項目は説明すべきではない、もしくはしなくてもいいと思います。どういう説明の仕方にするかにもよりますが、将也の自殺の理由や将也がなぜ硝子に会いに行ったかということは全部説明すると身も蓋もなくなってしまうと思います。また、映画を見た人同士がなぜかということを議論し合うというのも良いと思います。それを考える材料が少ないということでしょうか?
また、顔の✖️印ですが、意見は分かれると思う挑戦的な手法ではありますけど、面白いやり方ではあると思います。絶対にない方がいいとは言い切れないと思います。
最後に、なぜ硝子があんないじめを受けていたのにもかかわらず、将也のことを好きになったのかということですが、これは映画でフィクションで現実には絶対に起こらないことが起こる場所だと思うのでそこは突っ込まなくても良いかと思います。確かに意味不明ですが、いまある映画ほとんど、実話を元にしたもの以外は絶対に有り得ないことが起きている気がします。例えばいきなり声かけて恋愛に発展するとか。不審に思われて終わりだと思います。この映画に関しては重い内容だから慎重になるべきだとは思いますが、ファンタジーとして処理しても良いと私は思います。
この作品は重い内容ですし評価もされていて、批判しづらい中で映画男さんのこの意見というのは貴重であると思います。
僕は特に重い話でもないのに、無理やり重くしようとしている印象を受けてしまいましたね。
自殺といじめという社会問題を表した作品が重くないと?
あなたは他の人の意見を聞かない。自分が思っていることしか頭にない。
他の人の意見を少しは聞いて理解しましょうよ。
みんながみんなあなたみたいなクソ人間じゃないんです。
あなたは人の好きなものに対して気持ち悪いだとか言っていますよね。
なので僕は自分の好きなものを否定するあなたが嫌いなのでクソ人間と呼ばせていただきました。
私もこの映画は苦手でした。
ラストはしっかり泣きましたが、、、笑
でも、何となく気持ちが明るくなる物語ではないように感じました。
結局、障害者&イジメって言うテーマが非現実的なアニメの割に重たいんだと思います。
原作だとラストは成人式での再会で皆少し大人になっていて前向きに感じるのですが、映画は中途半端…と言う印象でした。
一緒に観に行った旦那は凄く好きだったらしくパンフレットと漫画全巻購入していました。
正直、色んな所で評判が良いこの映画の良さがイマイチ分からなくてモヤモヤしていたのですが
映画男さんも酷評で少し安心しました笑
感じ方は人それぞれなんだと思います。
因みにに私も天気の子の良さは全然分かりませんでした。
君の名はの方は大好きなんですけどね…
少しでも安心してもらえて嬉しいです。
批判して楽しいですか?w
まあ、自分は、
新海誠の作品じたい
良さがわからないですが、
特に恋愛でヒロインと主人公
がお互い好きなる理由が、
後聲の形は、嫌いでは、
ありません。
むしろ、リアルに人間の
汚い部分が描かれていて、
そうゆうのが良いと思います。
いじめは、実際本人が自己中
で、人のことを何も考え
ずにやる人が多いですから、
あのシーンは、仕方ないかと。
原作見ずに映画のみ観た者ですが、確かに表現の薄さとか人物の掘り下げが少なく観てて腑に落ちない点もありますが、全否定ってほどでもなかったですね
硝子が将也を好きになった切っ掛けは小学校時代、将也が硝子に「もっとうまくやらねぇとダメなんじゃねぇの?」って言ったところだったのではないかと思います、そんな事で惚れたの?と思いますが、硝子からみれば健常者と同じ目線で気遣ってもらえたから嬉しかったのではないかと思います、その後将也にはいじめられますが何かの障害を持った方というのはそれ以外の事では健常者以上の能力を発揮することがありますので硝子の場合他人の立場などを察する能力が年並以上だったと考えれば、クラスの中心的存在だった将也のいじめは将也がクラスでの地位を確立するための行動で自分が我慢すれば本音は優しい将也を傷つけなくてすむと思っていたのではないかなと思います、なのでいじめられた被害者であっても将也の事が好きだったのではないでしょうか?
この映画は3割りを見せて7割りを視聴者がどう解釈するかだと思うので見ただけの3割りの感想であれば酷評になるのは致し方なしなのかと思います
ちなみに手話は全てマスターせずとも劇中の日常会話なら半年もあれば覚えれますよ、まして罪の意識から全力で覚えようとしたならかなり上手くなるはずです
あなたのブログにマイナス100点!(100点満点中)
全てを否定的に捉えてる。
(なんで?)
自称評論家。
(悲しいなぁ・・・)
映画に対する評論と言いながら名誉棄損張りの批判。
(OH MY GOD!)
賛成反対のコメントを歓迎しているのにも関わらず反対意見を拒む。
(矛盾してるなぁ!)
評論に対して、ならお前が作れよという馬鹿は放置してよいです、返事もなしで。
さて、気持ち悪いと言う感情を抱かせるのが監督の意図なら、あなたは見事に転がされてますよ?
そうだとしたら、転がされてますね。多分そんな意図ないと思いますが。
現実にもただ漠然とした不安があるからって理由で自殺する人もあるんだから別にいいんじゃない?
無理に重くしてるって言っても実際に大人になってから虐めてきた奴に放火とかあるし余命宣告されて後悔したことはなんですかっていうアンケートで人を虐めたことって答える人が少なからずいるしわざと重くしてるとも思えない
加害者を好きになるかって言うのは病気だし精神科医に行けば石田のことも好きじゃなくなるだろう
最後のシーンは石田の願いが叶えられた場面だしそれを目指して努力してたんじゃ
面白いか面白くないかは置いておいて批評は的を外してるんじゃない
本当のクソ映画はひきこさんvs貞子とかリアル鬼ごっこ2015とかそのへん
映画男さんのページにたどり着いたばかりですが、色々観たい映画探しの参考にさせて頂いたり、バッサリコメント含め楽しませて頂いたりしております。
「聲の形」は漫画では読んでいますが、映画でまだ見ていないのですが、全巻持っているくらいには好きな漫画です。
まぁ「自殺」を手段として使う人も作品も好きではありませんが、他者に対してどうにかしたいという想い(恋慕とも限らない、自己満足であったりなかったりもする)があってもがく、漠然とした青クサい熱さのある話がどうも好きでして。
映画男さんが観てそれほど多くの「なんで?」が湧いたってことは、漫画読んで気に入った監督さんが、原作漫画を雰囲気重視で限られた時間枠の中で動画に落とした、って感じなのでしょうか?漫画作品としてはそこそこ長いし、テーマも繊細なので、一本の映画に纏めるにはなかなか難しいと思うのですがね。
練りが不十分で、”映画はたとえシリーズものであってもそれぞれが一つの作品として成り立っているべき(前作や原作知ってることを前提にすんな)”という価値観から外れ、見る価値無し、という評価になってしまったのか…?他でもそんな感じのこと言ってたなぁ、とコメントの応酬を読みながら考えてました。
この漫画は、ガキんちょ故の、目立つ何かへの執着や、想像力の欠如からくる行動(ときに”子供は残酷”を体現)、成長するにつれての過大な自己批判の波すんなり呑み込めるのものでもなく心も行動も揺れ動きながら、というものなので、よほど上手にプロットして見せないと時間の限られた映画作品としては支離滅裂になってしまうのだろうなぁ、と推察します。(いちいち脆すぎ、と思う主人公ではあるが、だからいじめなんてしてたって考えればキャラ設定としてはリアルかも?)
いずれ見てみたい、けど映画男さんの評価って的を得ているなぁと思うことも多いので、どうしようか。
原作漫画を知ってる者目線で見れば面白いというパターンに期待することにします。
漫画が好きで、映画をまだ見てないなら試しに見てもいいかと思いますよ。がっかりはするでしょうが。
将也が硝子会いに行った理由や将也が自殺しようとした理由も分かりやすく描写されてた筈なのに、スマホでも見ながら見てたんですか?✖️印は、将也が人の顔を見れないことを表現してたんだろうと思いますが…..
描写があればいいっていう問題じゃなくて、そもそもその描写の仕方に辻褄や現実感がないっていう話です。ちゃんと読もうぜ。
まず思ったのは批判ばかりで全く映画の本質を見ようとしていない。ただ叩きたいだけ。それに(なんで?)とか言ってるけど映画見てれば分かる内容ばかり。唯一分からないのは170万のとこ。硝子の妹が俺呼びなのが意味分からないならもうアニメとか漫画見るなって話。バツ印に関しては小学生の頃はやんちゃだった石田がいじめられたせいもあり自分の殻に閉じこもっていく表現だろ。だから高校でも友達いなくて、って言うのを見てる人が理解しやすいようにしてるの。あと批判するのは自由ですが、ものの言い方ってのがありますよね。酔っ払って作ったとか浅はかな人間とか自称映画評論家なんだったら映画を表現しろよ。映画作った人を馬鹿にする表現までして映画評論でストレスぶつけてるとしか思えないほどやってること子供。自殺に対する軽々しさなど共感する部分もありましたが、評価の仕方に少し不快感を覚えました。
ブログタイトル見た?
いじめられている人の気持ちがわかっているかのような発言はよくない
だいぶ前の投稿ですがコメント失礼します。
天気の子の記事を読んで共感したのでこちらの記事も読んでみたのですが、やっぱりめちゃくちゃ共感出来ました。
どちらの映画も主人公が周りの気持ちを考えられない自己中野郎でかなりイライラしますよね、、、。
感動したと言っている人を見ると精神年齢中学生かな?と思ってしまいます。
ああいう我儘な子供たちが増えてるのかもしれませんね。
事件で存在を知った京アニの人気作が金曜ロードショーでやると言うのでビデオ録画して先日観ましたが、観終わった瞬間HDDから消してました…あまりに後味が悪かったから二度と見返さないと思ったからです。映画館まで足を運んだ方は原作も読んでいて決して安くはない2000円を出しても良いと思ったから足を運んだ訳で高評価で当然だと思いましたが、私のように真っ白な所からテレビで無料鑑賞した人は「なんで?」続発は仕方ない作品構成でした。原作を読んでとか、一個一個ブログ主様のなんで?に丁寧に解説してくださっている方もいましたが読解力云々の問題ではなく、いじめる側にどんな理由があろうともいじめはいじめであり、聾唖者に対して高価な補聴器を捨てる壊す、流血を伴う怪我をさせる等いじめの域を超えた犯罪行為を平然と小学生が行い周囲や教師も親から申し出があるまで見て見ぬ振りをし、挙句教師ぐりみで主犯格1人に罪を被せていじめの対象にすると言う『救いの無い気持ち悪さ』が耐えきれませんでした。今の小学生の虐めはこんなにも陰険で壮絶なのでしょうか?そして高校生になった黒髪の女の子が観覧車で言い放った『虐められる側にも問題がある。だから私悪くないし』と言う趣旨の主張には旋律しました。自分がイライラして嫌いだったら虐めて良いみたいじゃないですか。病院裏での西野やその母親に対しての暴言や暴力と言いあまりに身勝手、なのにラストでどのツラ下げて文化祭にやって来て仲良しハッピーエンドにしれっと加われる神経を「なんで?」と思ってはいけないのでしょうか。西野への謝罪は原作ではあったのでしょうか?メガネの女の子もしかり、私は悪くない!が常に前面に押し出され最後まで心からの謝罪もなく違和感しかないんです。こんな自己中で他罰的な子でも全てを許してすんなり受け入れられちゃうの?B級ホラーの内臓ぶちまけのがまだマシなくらいキモ怖かったです(涙)橋の上で主人公がそれぞれに言った言葉、自分が一番可愛いだけとか言いたい事ばかり言ってとか部外者が首突っ込むなとか…それこそ正しい感情だと思ったんですが、何故か主人公が悪いとばかりに皆去っていきましたよね…道徳の授業が消え、硬い事を言うとウザっダサっ!真面目かよ!と馬鹿にされるようになり、個性や自己主張が評価されるようになり、他人の立場になって考える事や深く掘り下げて物事を考える事をしなくなってしまった年代の人達には絵の綺麗さや雰囲気、表面でサラサラと流れてゆくような作品の方が人気なように感じる昨今です。また刺激の強い描写も好まれるようですね。昭和レトロな人達はそれに不快を感じ、ある年代以降はそれを絶賛する。賛否が分かれてしまうのもわかるし、その時代の教育や環境による評価の違いなのでしょう。
評価を戦わせても仕方のない事です。
でもこの『違和感』を感じ取れない世の中に危機感を覚えます。
確かに違和感の塊なんですよね、この映画。それを感覚的に分かるかどうか、という問題を浮き彫りにさせましたよね。
私も映画男さんと同じ事思いましたよ。
硝子にとって補聴器は生活の
一部であり生活必需品です。
それを投げられたり捨てられたり5か月で8回も壊されるという人間不信レベルいじめをされてるのに石田やいじめた人たちと
仲良くするなんてありえない
ですしどうかしてますよ。
また石田に関してはどの
面をさげて硝子に会いに来たんでしょうか。要りませんね。
来なくて結構です。
しかも硝子は受け入れますよね。もうおかしすぎます。
硝子と石田の関係性が一番不自然で、謎でしたね。
映画男さんはじめまして
興味深く読ませていただきました。
僕は聲の形好きだったんですが、自分の意見と真っ向から違うことを言われた時の反応も気になったので参考にさせていただきます。
好きも嫌いもあっていいですよね、娯楽なんだし。好きも嫌いも強要されてるわけではないから。
コメント欄でも散々語られてるので疑問点については述べませんが、手話について少し話させてください。
エンドロールを見ればわかりますが今作の手話のコーディネーターは手話あいらんどというろう者主体の活動をされてる南瑠霞さんをはじめ、ろう者の方もスタッフとして参加してくださってます。また実際に耳が聞こえないと声もうまく発話できないため声のモデルとして参加してくださってるネイティブの方もおられます。
南さんは健聴者ながらろう者と共にろうあの方が如何に世の中を生きていけるか手話の可能性を広げれるか奮闘しておられる方です。そんな方々が加わっておられるので劇中の手話については熟慮の上使われてると信じたいです。(熱い思いを持った人たちの気持ちを資本が潰してない限り)
私も少し手話をかじった身ですが簡単な単語はすぐに覚えれます。半年週二2時間で指文字や挨拶程度のことはできますし、西宮さんは人工内耳をつけて多少の音は聞こえる設定に助けられてると思います。
邦画は意外と無いのですが日本語字幕にも対応して、流石コーディネーターが入ってるだけにろうあの方も観れるよう配慮されていると思いました。
ろうあの方が見られた意見も気になりますので今度聞いてみます。
長々と拙文失礼しました。
貴重なご意見ありがとうございます。
映画男さんの記事読みました。面白かったです。 質問なのですが、映画男さんは過労死とかのニュースを見て,自殺までいかなくてもいいのに,と思う人ですか?あと映画男さんの好きな作品を教えて欲しいです。(ジャンルは何でもいいです)
おすすめ映画はこのブログの90点以上の作品です。あとランキング記事などを参照してください。
主人公は3年生ですので、きちんとバイトしていれば年収50〜80万円程度は普通に稼げますよ。ちゃんと相場を調べてから批評してください
3年働いていたら、170万円稼ぐのも可能だと思うのですが
映画男さん、あなたは何歳ですか
20歳以下
↓
批判はやめた方が
いいですよ( ^ω^ )
20歳より上
↓
いい年して何やってんの?って気持ち
どちらにしてもインターネット上にここまでひどい批判を書くことは恥ずかしいことだと自覚してください。
これを見る選択をした自分も自分ですが、これを見て私は傷つきました。
私はあなたにこれ以上批判を書くのをやめて欲しいです。
ここにあるコメントに怒りのコメントが多数見られますが、
怒りの感情は第二次感情であり、すなわちコメントをした人は、この記事を見て驚きや悲しみ、呆れといった感情をまず抱き、故に傷き怒りの感情に至ったということを忘れないでいただきたい。
ほんとそれ
この作品最後まで鑑賞して、感動作品と感じた人達は
火垂るの墓も同じ評価でしょう
両作品とも只ならぬ怨みと憎しみの旅路の物語です
映画見てもわからないのに批評してるの草
たしかに
中学2年生向けの作品なんだと思います。
これをカスだと感じる方が正常であり成熟した大人です。
もっと言えば、何事に対しても浅い部分で理解した気になっているからこそコレに共感出来るのです。
もっと良い作品に触れて欲しいものですよね、工程派の人達は。
ですよね。中学生向けでも、大人にささるアニメもあるので、やっぱりひどいアニメだなって思いました。
大人でも作品の表面しか見れない感じられない低俗な人もいるのでそういうひとはアンパンマン見てみてはと考えてしまいます( ゚σω゚)
すいませんwww共感できる部分もありましたが、批判の大半があなたの理解力不足によるもので吹きましたw頭のお堅い人には難しいですかね?情弱っ(∩˃o˂∩)♡心中お察し致します!
なんで?ってとこ作中に出てるとか多々あるぞ?本当に見た?
ここのコメを読んでアニオタはキモい、っていうのは再認識した。
観なくていい映画ってあるよね。
時間の無駄。
絵本をじっくり読み込んで、世界の全てを理解した、と思える人が観て楽しむ映画だよね。
嗚呼、よかったね。君たちのレベルに合う映画があって。アニメの中に友達ができたね。
どこの高校大学出てんの?
偏差値70より下だったら文句言えないぞ!
嗚呼、よかったね。君は頭が悪くて。きっと世界が私とは違うんだね。良いものが悪いものに見えるんだからね。
なんのバイト?は流石に吹いたわw
そこ細かく描写してたら、それ必要?だろ?知ってるよ。
話聞いてた?って言われたことあるでしょ
このブログは映画男さんが批判じゃ無くてただ短絡的行動である「文句」を言ってるだけなのだから皆理解が出来てないとか言って目くじら立てなくても良いのに
ほんとそれ。
あなたのフォローじゃないですよ笑笑
さらにバカにされてるだけですけどwww
ええ、そうなの? 残念。
この皮肉にも気づけないレベルの人ってことか。どうりでブログの内容がバカ丸出しなわけだ。
正直確かにつまらなかったです。ライトノベルみたいな話で中高生向けの話だなあと感じました。
間違っても大人が見るやつじゃないですね。
僕的にはとても感動した😭
授業で見て、僕だけ泣きました
ちょっと浅いなーって思う所はあったし、確かになんで?って思うこともあったけどとても考えさせられる映画で見て損はないと思います
一人一人が凄くいいキャラなので考察とかも楽しいですなので、何回か見ることを自分はオススメします( *˙ω˙*)و グッ!
学校の授業で、これ流すんですね。
ちゃんと映画見てんの?
設定とかの理由ちゃんと言ってる(書いてる?)し、
“その設定必要?”に関しては流石に笑えたわww
皆同じような設定なん?w女の子は女の子らしく?マジで草しか生えん。
別にどう思おうが知らんけど、自分はこの映画めっちゃ好きやし、同じく好きな人、下手したら作者も見るかもしれへんネットに載せるとかまず頭疑ったよね。めちゃめちゃ気分悪なった。えマジでどういう教育されてきました?人が傷付くこと、クソほど気分害される事言っていいって習った覚えないな……
年齢は知らんしあれやけど、17の学生でも分かること、ひょっとしたら年上かもしれない人物が書いてるとしたらもう恐怖……ある意味、日本の壊滅、危機やんそれもう…。
現実でも貴方が人虐めてないか心配になってきましたわ。。
貴方は書いてて楽しいですか?読んで誰か楽しい気持ちになれますか?これを書く位ならもっと人が喜びそうなのを書くべきなんじゃないですか?考え直してください。
このコメントは投稿とは別に、サイト投稿者に向けて少しでも「道徳の勉強して来い」というコメントでもあるので投稿目的とは少し外れます、まぁどちらでもいいんですけどね。
なんで❓
ちゃんと見てんの❓
石田は小さい頃にいじめをしてしまって、謝りに来てるんでしょ。
なんで?とか意味わからん
物凄い辛口なタイトルだったからどんな感想抱いたんだろう?と興味持って見たら
ただ筆者の読解力が0なだけだった…
原作が好きで、映画は見なかったけどさぞ良かったんだろうな、と思って感想書いてるサイトを見たらまさかの酷評
でもどうやら文句ばっかつけている人のようなので、そういう事かと納得した
あるいは映画というメディアのせいなのか
評者の批判点は原作を読んでいたら全部分かるようなものばかりだけど、映画だとバッサリ尺を切られていたりしたとか?
全部映画をきちんと見てれば分かることなので、この人の理解力がないだけですよ。ボーッと見てても幼稚園児でも理解できるくらい分かりやすく丁寧に描かれていて非常に面白いので是非見てください。
映画男さんに共感です。
私にとってもマイナス100点の映画でしたので、批評を読んでスッキリしました\(^o^)/
映画見てわからなかったらマンガ読めって意見ありましたが、
映画単体で理解できない、させない作りになっているのであれば、
作り手の怠慢だと私は思います。
映画は原作知ってる人も知らない人も含めて、幅広い人に向けて作られるものだと私は思うからです。
石田姉関連は丸々削っても良かったと思います。
姉の顔が映らないのも、黒人の夫も、娘のマリアって名前も、無駄に意味深な割に、
物語には全く関わりがなく、見ていて非常にイライラしました。ムダな設定!
私は映画男さんの意見に救われました。
ありがとうございました。
おっしゃる通りで、原作読まないといけない映画とかふざけてますよね。まあたとえ読んだとしてもこの映画がひどいのは変わらないでしょうが。
22歳メンズですが、いやぁ感動しました❗とりあえず女の子みんな可愛くて最高でした❗ありがとう❗
ボロクソに言ったうえですべて気持ちよく回収する人気のブログかと思いきや、こき下ろしたまま終わるという稚拙さ。
感性はないわけではないのだろうが、あそこまで書いて何かプラスになっているのだろうか?ああお金か。
評論家って言うのは基本的に無能だけどカリスマ性があるって言う人が多いから、たぶんこの人もそう。無能を隠すために必死にトーク力を磨いてごまかしたように見える。
感性は人それぞれだけど、正面からぶつかれないのは本当にかっこ悪い。こういう大人をこれから支えなきゃいけないと思うと反吐が出る。
粗探しようとして自分の粗が出過ぎですよ批評家さん。
ちゃんと見たのか?と聞きたくなるような文章ばかり。
絶対一緒に映画見たくない。
友達じゃなくて良かった。
ただ読解力がないだけでは?笑
うわぁ。批評が下手すぎて思わず笑っちゃいました(嘲笑)。
あなたが理解に苦しんだっていう項目のほとんどが他のコメントでも散見されるように一度映画を見ていれば解決するようなことなので映画初心者なんだなっていうのが今の率直な感想です。あなたのあまりに乏しすぎる理解力のためにわざわざ解説するのも馬鹿らしいので、この映画の解説はあえてしません。
ただ言いたい事はあります。論理的じゃないことを列挙して批判するのは良くないですよ?何歳なのかは知りませんが、20歳を超えた大人がここまで稚拙な感想を書けることに驚きを隠せません。多分小学生でもこの記事を見てあなたを嘲笑うと思います。
当然映画というのは人によって好き嫌いが分かれます。僕も嫌いな映画も好きな映画も理由があってあるので、好きな映画を批判されても、ちゃんと納得できる理由があるなら文句は言わないです。むしろそういう見方もあるんだなって勉強になるくらい。ですけどあなたの場合はただ単に多数派の意見に対立してる俺かっこいい〜みたいなのが見え透いてます。なぜなら批判する理由が雑にも程があるからです。だから批判的なコメントばかりが集まるんですよ?僕の文章理解できましたか?もうちょっと根拠のある発言をしないとあなたの他の作品の見方もここまで薄いんだなって感じられてしまいます。まあいい作品だったからこそきちんとした理由付けのできる批判が見つからなかったんでしょうね。強がるのもみっともないのでレビュー書き直したらいかがですか?せめてあなたの理解力のなさを改善してから考察してみては?
酔っているのはあなたでは?
理解力が乏しすぎる。
わからんとこあれば漫画読めばよかったくない?映画一回見ただけでディスって頭悪そうやね。これは映画の評価である前に漫画、映画合わせて聲の形って作品なんだから映画で分からないところがあったら漫画読んでしっかり補えよ。そこで改めて評価しなおせ3流
悪く言っとけばいいと思ってるんですか?この作品にはいいところもあるし、そこ取り上げればいいと思ったんですけど、どうなんですか。
映画男さんと似た感想でした。
理解力が無いとか突っかかる人が多いですがそういう問題じゃないと思います。
障害者に対して残酷ないじめ方をする登場人物達に1ミリも感情移入できず終始苛立ちしか湧かない。
その時点でろくに批評する気にすらならない気持ち分かります。
京アニは好きなんですが、自分もこの映画は合わなかったですね。
おっしゃる通りで、設定がボロボロすぎて理解するとかの以前の問題なんですよね。なんも共感できないから、苛立ちしかないんですよね。
元いじめられっ子で障碍もある自分の感想です。
いじめっ子は過去いじめてた事をすっかり忘れてる(後年出会っても何事もなかったかのような振る舞いをしてくる)し、いじめられてた方は忘れたくても覚えてる。
これは自分だけでなく他にいじめられてた人も同意見がほとんど。
障碍が後天性のものであれば、自分のことでごめんなさいという周りへの気持ちが常にあるが、先天性の場合、最初からその環境のなかにいるので、まわりへの申し訳なさ云々ではなく、自分ががんばって生きる力をつけることで精一杯で、まわりにはそれを支えてくれる感謝が強い。
いじめ当事者ではなく、いじめの傍観者かいじめに関わらなかった人間の作ったストーリーだなと感じた。
自分の感想としては、モヤモヤが最後まで消えず、観なきゃよかった、、と思った映画。
期待して観たんですがね。
まだ、テレビで良かった。
映画館だったら途中で席を立ってしまったかも。
この映画の絶賛コメントが多いのに戸惑ったけど、ブログ主さんに近い気持ちの感想だったのでほっとしたのが正直な気持ち。
少しでもホットしてくれたなら、書いたかいがありました。ほんと、映画館で見なくてよかったですよね。
自分はいじめられてたことがありましたが何年かして自分をいじめてた人と会いましたが何も思いませんでした時間と共に気持ちとは変わっていくものだと思います。
いじめの度合いは集団で囲まれて蹴られたりしてました
登場人物の行動原理が全く伝わってこないw
辻褄が合わなすぎですね。
作画は綺麗ですが、内容はご都合主義な映画だとしか思えませんでした。
いじめを許してくれて更に恋愛感情まで向けてくれるヒロインという最後まで加害者に都合が良く激甘な展開にはびっくりしました。
ほんと、それね。到底許せるレベルのいじめじゃないのに、恋愛感情ってありえないですね。
「自殺する理由が浅すぎる」とのことだけど、
逆に「深い理由で自殺する若者」ってそんなに居るかね?
あえて言葉を選ばずに言うならば、
「馬鹿馬鹿しいくらい浅はかな理由で死を選ぶ若者」が多いように思うし、
映画は割と現実に即してると思う。
警察庁の統計によると小中学生が自殺する理由の第一位は「学業不振」。
つまり「成績が悪いので自殺しよう」ということ。
(俺も何を言ってるのかさっぱり分からないが。)
世界には「テレビゲームを禁止にされたから」という理由で自殺した少年すらいるらしい。
「自殺には深い理由があるはずだ」というのは誤った思い込みだ。
「自殺する理由が浅すぎる」と言うよりは、
単に「自殺するような人の心情が理解できない」というだけの事であって、
映画の製作者のほうがその理解に比較的長けているというだけ。
これだけの演出を以てしてもその心情が微塵も伝わらないというのは、
それだけ「自殺に縁のない図太い神経の持ち主」だということ。
映画の方は限界まで努力してると思うし、十分多くの人に伝わっている。
「感傷的になって飛び降りようと思ったけどやめた」
くらいの表現で違和感などないし、辻褄がどうのと些末な文句を言うこともない。
ほぼほぼ同じ感想で安心しました。
家族に障がい者がいるのですが、すべての登場人物が気持ち悪く、全く理解できませんでした。
私も二度と見ないと思います。
ひどいし、理解できないですよね。ほんと、僕も二度と見たくないです。
7月31日に地上波で放送しましたが、最悪な映画でしたね。
2時間程度でまとめようとするから、話が薄っぺらくなるんでしょう。
特に西宮八重子の扱いが酷すぎる。彼女はこの話のもう一人の主人公なのに。
うすっぺらすぎましたね。
2時間という尺では無理があった、というのは多少同意なんですが、
先日の放送では更に色々なシーンがカットされていて流石に難があった、
という点は一応横から補足します。
揚げ足取りになるので、書くかどうか暫く迷ったんですが、
「もう一人の主人公」とのことなので、おそらく西宮硝子の間違いだと思います。
西宮八重子は彼女の母親ですね。
原作未読の私ですら流石に間違えない部分なので、
「当然原作既読済」さんが言うのはちょっと引っかかります。
「母親の原作エピソードは重要だった」という意味でしたら申し訳ないです。
話題や人気のある作品を徹底して貶めれば、そのファンが噛みついて反応する、炎上商法としてとても見事な手腕のレビューだと思いました。
この映画に多少なりとも好感を持った人に対して、どんな批判の書かれ方をしたらカチンときて反論したくなるか、そのツボを素晴らしく効果的に突いていると思います。
例えば、いい年した社会人でもそんな理由で死ぬ位なら会社を辞めれば良いのにという出来事がある中で、学生時代というのはもっと世界が狭く、端から見たら本当になんでそんな理由でと言いたくなる理由で自死を選ぶ子どもがいるなんてこと、普通に考えて分からないはずないんだから、自殺しようとする理由がわからないというのはあからさまな釣りだということがちょっと冷静に考えれば分かると思うんですが、この作品が好きだというブーストが掛かるとこんなにも大漁に引っかかってしまうものなんですね。
ただ、アニメ作品に対してアニメ的な表現(顔の×)がおかしいというのはあからさまな釣りすぎると思ったのですが、反応されている方がいらっしゃったので、レビュアーの手腕というものでしょうか。
世間の批評とは逆張りされていることが多いようなので、ドラゴンクエスト ユア・ストーリーや二ノ国(映画)と言った批判意見の多い作品は逆にどのようなレビューをなさるのかとても興味があります。
私は全く気持ち悪いなどとは思いません。すごく良い話なんじゃないかなって思っています。
気持ち悪いって言うのは貴方個人の意見であって、皆がそう思っている訳では無いので、この記事を見て嫌な気持ちになる人もいるかもしれないじゃないですか(じゃあ見るな)。
この映画を批判するのであれば、これよりももっと人々を感動されられる映画でも創ってからにして下さい。
コメントを見ていれば分かるのですが、貴方が挙げている疑問等はほとんど解決できます。批判したいが為に集めただけなのではないでしょうか。理解もしようとせずに批判だけするのは間違っていると思います。
一旦小学校からやり直して読解力とか理解力とか付けてからこの映画もう一度見た方が良いのでは?
ほんとそうだと思う。
記事読んでて思うんだけど、やっぱ映画男さんは理解力が乏しすぎる故に浅い批評しか出来てないよな
その程度と読解力で批評すんなって思う。
描写がないからなんで?なんじゃなくて、描写の仕方が浅くて自然さや現実感が感じられないからなんで(そうなる)?と自分も思いますね。
現実感ないですよね。
批評が下手すぎて思わず笑ってしまいましたw
説明不足というか、理解不足。
これは理解力の乏しい人が観るような作品じゃないよ。
映画の意味が分からないなら無理して批評するなって話。
あと、批評する際の着眼点が色々とおかしいんだよなぁ…
映画を浅いと感じるか感じないかではなく、深く見ようとしているのかしていないのか?ってのが映画を批評する上で大事な事だと思う。
深く見ようとした結果での「浅い」という感想ならまだ分かるけど、この記事や映画男さんの他の記事を見る限り、映画を深く見ようとしていないんだよね。着眼点が浅いから映画が浅く見えるんだよ。
普通に見ていれば、将也が自殺しようとした動機とか、なぜ硝子が将也を好きになったのか、そういう所に疑問は浮かばない筈だが。
その程度の軽い気持ちで映画見るくらいなら映画の批評なんてやめたほうがいい。
浅い意見を押し付けられても困るしな。
信者の人が色々言ってるなーw
映画はともかく原作はマジで行き当たりばったりの思い付きで書いてたよ。
というか作者自身いつも先の展開考えてないと当時の週刊連載で言ってたくらいだし。
好みは分かれるにしても「深い」はないよかなり浅い作品ではあるよ。
確かに深いはない。
私も映画男さんと同じです。
西宮をどう解釈するかこの
作品の評価の分かれ目でしょうね。生活に必要な補聴器あんだけ壊されても仲良く出来るか?
って言うところが私はどうしても引っかかります。
私なら無理だし西宮はどうか
してますね。
深いって言ってる人たちは同じ目にあっても仲良く出来るそうで。
恋愛として見ることも出来るそうですね。
深いっていう人は、おそらく聾唖の人が、嫌がらせで補聴器を壊されることの重大さを想像できないんでしょうね。
この作品は「耳の聞こえない障害」を持った西宮に注目しがちですが、小学校時代に石田くんが西宮に対しておこなったことを見るに、石田くんの方も「人の気持ちを考えることが出来ない障害」を持っていると考えることが出来ると思いました。だってやってること異常ですし。ですのでこの作品はそんな心の病を持った可哀想な石田くんを治していくストーリーともいえるのではないでしょうか?
映画男さん。
きっとそうでしょうね。
私も映画男さんと同じ感想でしたし、スッキリしました。
聾唖の人にとって、西宮にとって補聴器は自分と外の世界を
繋ぐ大事な道具ですからね。
それを何個も壊されるなんて私なら人が怖くなるしトラウマになるし学校行きませんね。
心の傷レベルですよね。
私は最後までいじめた側の
ご都合ストーリーにしか
見えませんでした。
深いや感動するって言ってる
人はあんだけいじめられても仲良く出来て好きになれるって事ですもんね。自分が西宮の立場ならどう思うか?を重要視して
ないんでしょうね。
私も深いや感動するっていう人は、おそらく聾唖の人が、嫌がらせで補聴器を壊されることの重大さを想像できないんだと思います。
どうやったら普通にコメントできるかわからないから一番上の方の返信になってしまいますが、作品は賛否両論、好き嫌い、あるもんだし。嫌いだな、合わないな、という意見を言うのも自由でしょう。
で、好きな作品を悪く言われて腹が立ったならその「意見」を叩くべきでしょう。
実は私もこの作品あんまり好きではなかった。
映画男さんに8割くらい同意です。
ここで、映画男さんに暴言を吐いてる人が、この映画を好きなのであればすごく残念。
自らのしていることが、あの小学校のクラスメイト達と一緒だって、解りませんか。
好きなら好きで、それでいいのにね。嫌いな人まで叩く意味が分かりません。
まあ、シネフィルのおっさんが見る映画ではないよ。リクエストしたやつが悪い!w
よく、こういうリクエスト来るんですよねぇ。
あまりにも基本的なことを一から書くため長文になります。
補聴器を壊されることの重大さが理解できるのは、少なくとも我々視聴者が大人だからです。
劇中の子どもたちは、補聴器がそれほど高価な物だとは認識していません。
主人公の石田は、学級会での校長の話によってようやくそれを理解し、事の重大さに震えます。
そして補聴器を弁償するために、母親が多額の現金を下ろす様子を見て絶句します。
(これらはあくまで映画版における描写であり、原作とは細部が異なります。)
もちろん決して金額だけの問題ではなく、イジメそれ自体が大きな問題なのですが、
石田にとって西宮とは「いじって遊ぶのに丁度よい変な人」という程度の存在でしかなく、
それが重大なイジメであるという認識にすら、
多くの子どもたち、特にガキ大将である石田は至っていません。
序盤以降は、それらをようやく認識した石田が、自責の念に苦しむといった物語です。
また、西宮は聴覚障害によって、周囲の悪口の多くに気づいていません。
黒板に書かれた嫌がらせの落書きも、石田が書いたものとは気づいておらず、
それどころか、自分のために落書きを消してくれたのだと認識し、
「ありがとう」と書いて感謝を伝えます。
後に石田がイジメの対象となり、机に嫌がらせの落書きをされますが、
西宮がその落書きを消していたのは、その恩もあったからです。
西宮が転校してきた当初、率先して西宮のノートを取り、世話をしていたのは植野でしたが、
なぜ植野がその後に態度を変えて、西宮に酷く当たるようになってしまったのか。
この映画は各人物の視点に立って、その認識から物事を考えないと、
単に「我々視聴者の成熟した行動原理」に照らし合わせて理解することはできません。
ただ「エモーショナルな空気感の中で、トラブルを乗り越え絆を深めあう、青春ラブストーリー」
なんていう物を指して「深み」と呼んでいるのではなく、
「登場人物の多くの認識とそのすれ違いにより展開する物語の構造」
を指して深いと評されるのです。
従って特段「深いメッセージや教訓が込められている」という類いのものではなく、
また聴覚障害に対する理解を深める意図や、
イジメに対する問題提起というのが主旨の物語でもありません。
「自分ならこんな酷いことは絶対にしない」という視聴者自身の主観だけで解釈を進めると、
ただ不快感を募らせる一方で、展開に付いて行けないという結果に陥ります。
視聴者には「主観的な理解を切り離して、各人物の理解(無知、誤解、偏見)を読み取る」
という「自身の主観的な行動原理に照らし合わさない客観性のリテラシー」が求められます。
最初の西宮の自己紹介にあった、
「わたしは皆さんとこのノートを通して仲良くなりたいと思っています。」
というのが一貫した西宮の強い願いでしたが、
池へ投げ捨てられた筆談ノートを拾わず、自分の手によって底に沈めたのは、
西宮が他者とのコミュニケーションを諦めた瞬間であり、
後に石田が「忘れ物」という手話と共に持ってきたそれは、
過去に諦めてしまった西宮の強い願いの象徴です。
この意思の疎通から二人の関係が始まるわけですが、
そういった当人の感情を一切読み取らずに、
これを単なるいじめっ子との再開と解釈してしまうと、
その後の展開にも付いて行けません。
「自分だったら」というばかりの考えが理解を阻害します。
西宮は貴方ではありませんし、また聴覚障害者の普遍性を表した人物でもありません。
健常者に個性が存在するように、障害者にもまた個性が存在するというのは、
本来言うまでも無い事です。
補聴器を取られた側であるにも関わらず「ごめんなさい。」と西宮が謝るのは、
あらゆるトラブルの根本的な原因はいつも自分にあるのだと思い込み、
自分を責めてしまうという西宮の性格ゆえの行動です。
「自分が西宮の立場だったら絶対に謝りなどしない」というのは、
「自分が石田の立場だったら絶対にイジメなどしない」というのと同じことです。
障害者やイジメ被害者という大きな枠組みだけで解釈し論じられることが多いのですが、
西宮もまた多様な人間のうちの一人であり、西宮には西宮の個性がちゃんとあります。
このような当然のことを強調せざるを得ないのは残念なことです。
僕は映画に対しての批判にそんなにむきにならなくていいと思います、例えば僕は映画男さんがブログで嫌っていたスパイク・ジョーンズの「her」という映画が好きですが、本当に大好きなので映画男さんが何を言っても腹がたたないです、「そういう意見もあるんだなぁ」ってなります、だから僕からしたらこの映画の一個人の意見にそんなに怒ってる人は自分の価値観を見直した方がいいと思います、それにそういう人たちは映画男さんがなんでもかんでも絶賛したら満足するのでしょうか、それじゃつまらないでしょ、みんながみんな製作者を尊重して全ての作品に高評価をつけたら、アカデミー賞なんていらないじゃん、良い映画、悪い映画がそれぞれの違う人たちの物差しによってつけられてこそ良い映画が生まれるんだと思います、僕は絵を描くのが大好きで、絵本みたいなのも作ったりします、それを人に見せるとみんな褒めてくれて嬉しいのですが僕的には「ここ微妙だよ」みたいな意見の方が作品の質が上がるので助かります、映画男さんみたいにそれを全力でやる人が好きです、好きだしもっと必要だと思います、いつもこのブログでしか読めないものすごく素直で正直で笑える文句をありがとうございます!映画男さんの目の超えた批評から選び抜かれた傑作はどれも素晴らしいです!
あざーす!
製作者は本望でしょうね。これだけ賛否で皆が討論しているのだから。そもそもが、正解を訴えるものではなくて、各々に考えさせるような作品だから討論に発展する素質は高いよね。
結局は良くも悪くも心に残る作品なんだよ。製作者は本望でしょうね。
さて、みんな映画男ちゃんを擁護したり、論破しようとしたり、ゴチョゴチョと乳繰り合っているけれど、映画男ちゃんはきっと反対派の声には絶対耳を傾けないだろう。それでもさ、一生懸命に内容説明までして説得を続ける者もいて、僅かな可能性に賭けているけなげさ。大切ですよね、こうゆうの。そして、また逃げられて。
でもね、いいじゃんいいじゃん。
だってここは
「映画男のただ文句が言いたくて」
ってお部屋だものね。
確かに監督の思うつぼかも。「映画男のただ文句が言いたくての部屋」って表現好き。
冒頭から「浅はかな人間が作った作品」という製作者を貶めるような意が含まれますので、
怒る人が出てくるというのは妥当な状況だと思いますよ。
作品に対する評価および批評については、当然のように賛否があってしかるべきだと思います。
しかしながら「評論」というのもまた「表現の一つ」であり、
それに対する意見もまた、賛否があってしかるべき物なのです。
例えば「映画男さんによる批評は非常に理解力の乏しい浅はかなものだ。」という評価は、
「山田尚子監督による支離滅裂メンヘラ学生ドラマ。(中略)浅はかな人間が作った作品です。」
といった内容の批評に釣り合った程度のものだと思いますし、
仮に「あなたのコメントは映画男さんの批評と同じような物ですよ」という啓発はあったとしても、
「映画男さんの批評はあってしかるべき物だけど、コメント欄の人たちは考え直したほうがよい」
というのは非常に偏りのある誤った啓発です。
私も映画男さんの批評は極めて質の低いものだと思いますし、
所詮「文句」に過ぎない物に対して「文句」が飛び交うわけです。
映画男さんの批判を見て「さすがに言い過ぎだろう」と思う点はいくつかあったけれど、確かに後味が悪い感じはする。金曜ロードショーでやってたから見てみたけど正直面白いとは…。他のコメントなども見たりして1度考えて見たけれど、この映画がヒットしたのは感動とかではなく京アニの存在がでかい様な気がする。
あと強いて言うならラストシーンよりも永束くんの主人公に対する思いの方が良いと思った。
私も京アニだからヒットしたと思います。
絵が綺麗ですし、事実私も予備知識が無い時絵だけでTSUTAYAで借りたんです。
内容は好みではありませんでしたが。
絵も話も綺麗に描かれすぎているのは私は違和感があるし嫌悪感すら感じますが、それがいい!
さすが京アニ!って思う人も
いるんでしょうね。
私も永束くん好きです。
石田は補聴器の重要性を
分からなくても西宮は
分かりますし、そこに大人子供
も関係ありませんしね。
西宮は障害者で周りのサポート
して貰っているという思いがある。
実際障害者でそういうかたもいるでしょう。
それだけでも自分を下げてるのに補聴器盗られても嫌!やめて!怖い!痛い!という事も言わない。描かれない。
人間にある当然の感情なのに。
主人公じゃないからスルーされる。
障害者の話ではないという
見方もありますが実際
出てるしどう描くかですよ。
今回は石田の都合の良い方に
描いたと思います。
私はそこがこの作品の一番の
苦手なところです。
>鑑賞後いじめられたみたいな気分になる作品です
これはその通りで、ものすごくもやもやが残りました
主人公の二人を始めとして癖のある人間ばかりがなんとなく集合離散をする。失敗した小学校生活を取り戻すだけの物語。
大人であれば多少は痛みを感じる過去を引きずるもので、そこを目掛けて梢子役の声優の慟哭をしつこくぶつけて感情を揺さぶるのが目的だからストーリーはさらっと流せれば良いという作り。人生でこれほど泣いた映画は初めてです。
植野さんが梢子にフラットに接しまくりな事すら感じ取れないなら、この映画に向いてないという事でしょうね。感受性の方向の違い。
記事の内容はとにかく、このコメント欄の内容は面白いですね。
まぁ議論してもらうための「釣り」の記事としては優秀なんでしょうね。
この映画を見た私の理解を書かせてもらいます。
将也に対して否定的な人、又は、関心がない人→将也にとって理解する必要がない人→顔に×印
将也が一番嫌いな人→自分
硝子が死のうとする→硝子も自分が嫌いだったんだ→硝子の気持ちが分かっていなかった
自分が死にかけてわかる周りの人の気持ち→誰のことも分かろうとしていなかった
↓
嫌いな人も含め、みんなのことを分かりたい→×印が外れる。(これは自分の気持ち一つで世界はかわるというアドラー的世界観の表現?)→こんな世界だったんだ
互いに分かり合える状態にまでたどり着く必要はなく、分かりたいという自分の気持ちだけで世界は変わるんだよ、ということが言いたかったのかなと。
で、このコメント欄を見ると、映画の肯定派っぽいひとでも、相手の否定しかできていない人がいて•••
顔に×印が付いているのは「将也の自己肯定感の低さ」故に「他人の顔がちゃんと見れない」という表現です。
カメラワーク(画面の構図)についても、人の顔よりも若干下を写して(見て)います。
自分のことを「生きてちゃまずい奴」と思っている将也は「人と顔を合わせることが出来ない」のです。
「将也が心を閉ざしている」という意味であって、特に「他人を否定している」わけではないです。
また硝子の自己否定については、観覧車にて「私は私が嫌いです」と硝子が述べおり、それを聞いた将也は「西宮には西宮のこと好きになってもらいたい」と述べています。
それは硝子が自殺未遂をする以前のシーンです。
コメント欄について、否定する部分しか無い場合には、否定しかしようが無いと思いますし、アドラー的に「課題の分離」をするわけでもなく、「勇気づけ」をするわけでもない様子は、貴方も同様でしょう。
「•••」の後が気になります。
言いたいこと言ってるだけだし、まず、文句が言いたいって書いてあるからそれを覚悟してみるべきじゃない?笑
それなのに、「意味がわからん」「気持ち悪いはないな」みたいなしてる人こそじゃね?ってなるのは自分だけ??
聲の形は普通に好きだけど、別にこれでなんなの?とはならないな~
そういう意見もあるのか。
アニメはやっぱり人によって感じ方が違うから面白いな~笑
みたいにしか思わないな笑
みんな好きなの見れば良くない?笑
マジレス失礼しました。
私も、初めてこの映画を観た時には主さんと似たような印象を受けました。
(マイナス100点とまでは思いませんでしたが。)
登場人物の大半が、いちいち行動原理が不可解で、とても感情移入できず、共感しづらく、全体的に意味不明だなあと。
でも私の場合は、「少なくとも原作のほうは、これだけ評価されてる(”このマンガがスゴイ!” の第一位など)のだから、何かしらの良さがあるんだろうな」と考えて、マンガの方にも手を伸ばしてみました。
結論から言えば、今では『聲の形』は、これまでに読んだマンガの中で一番好きな作品になりました。
何名かがコメントのなかで触れていらっしゃるとおり、このマンガのテーマは原作者いわく「コミュニケーションの難しさ」、言い換えれば「他人を理解することの難しさ」です。
そして、他人を理解することの難しさを読者に実感させるために、(主人公の将也以外の)キャラの物の考え方が、あえて読み取りづらくしてあります。
たとえば、基本的には主人公以外には「心理描写の吹き出し(モクモクした雲みたいな囲み線のやつです)」がありません。
将也以外のキャラについては、セリフや表情や仕草から行動原理を推し量っていくしかないわけです。
とりわけ、作者はヒロインの硝子の心情をひときわ読み取りづらくしたそうです。(悲しい時でも作り笑いをしていて、序盤はほぼ「ありがとう」と「ごめんなさい」しか言わず、とても理解しづらいキャラですね。)
しかし、綿密に組まれたプロットのおかげで(作者はこの作品の構想に7年を掛けたそうです)、丁寧に読みさえすれば、登場人物ひとりひとりの内面はかなりの程度読み取れるように作られています。
ですから、この作品をさっと読んだり観たりして、「キャラの心理が意味不明」とか「俺(わたし)なら絶対にこんな行動はしない」という感想を持つのは、ある意味当然のことです。
そもそも、どれかのキャラに自己投影させる(=このキャラって私に似てる、と思わせる)のが目的ではなく、「自分とは違う価値観や物の考え方を持っている”他者”を、なんとかして理解しようと努力させる」ことを目的として作られた作品なのですから。
このマンガは、読み込めば読み込むほどに、その構成の巧みさや心理描写の技術に、ただただ驚嘆させられます。
そしてこのマンガを読むと、いかに自分が「1から10まで分かりやすく説明してもらうこと」に慣れきっているのかということにも気づかされます。
(昨今のマンガや映画はとても「説明的」で、あまり自分で考える必要のない作品が多いですね。)
イジメはこの作品のメインテーマではありませんが、イジメが「他者への無理解(=相手の痛みに思いを馳せないこと)」から生まれることを考えれば、メインテーマとも重なっているように思います。
「自殺するやつの気持ちなんて分からない」「イジメをするやつの気持ちなんて分からない」「自分をいじめてた人間を好きになるやつの気持ちなんて分からない」。まさにそこがこの作品の出発点であって、その「他者への無理解」を克服していくことこそが、この作品を通して読み手がやっていくべき作業なのだ、とも言えるのかもしれません。
そしてもっと言えば、相手を理解した上で、さらには(ただ批判・糾弾・断罪・排除するのではなく、)赦して、愛情を持って接し、教えさとしたり、成長を待ってあげたりできるようになることが、人間として成熟するということなのではないかと思います。
ただ、『聲の形』の映画版に関しては、私は今でも原作ほどには高く評価はしていません。(フツーに好き、といった程度です)
映画だと、各場面が流れるように過ぎていってしまうので、マンガのようにゆっくりじっくり読み取っていくことができませんから。
原作を知らない人が観たら、やっぱりほとんど意味が分からないだろうなーと思います。
でも、そもそもマンガや小説を映画化するという行為は、決して原作を超えることのできない「負け戦」じゃないですかね。
(アクション物は例外かもしれませんが。)
『聲の形』の映画版は、負け戦としてはそこそこ善戦してるかな、と個人的には思います。どうしても時間的な制約があってエピソードをカットしたり短縮したりしなければならない分、映画ならではのアドバンテージを生かして、音楽やイメージ映像(水紋や光点や花など)を多用して情緒に訴えかける工夫がしてあって、単なる原作の劣化コピーにはなっていないなと。
この映画がキッカケになって、マンガのほうも読んでみようと思ってくれる人が増えることを願っています。
私は映画で辻褄が合わないと「こんな理屈に合わないおかしなやついねーよ」って思っちゃう質なので、面白いと思えませんでした。
いじめを含め、うんざりさせるだけのものは現実で十分だと思っているので、創作物の中で見せられても興ざめするだけなんです。
いじめをした、または放置して生きてきた人が、
こんな酷いいじめを受けた人も立ち直って許してくれて仲良くなってくれるんだよ、
って妄想に浸りたいんじゃないのかと邪推してしまいます。
つまり
理解のすれ違いなんて現実でいくらでもあるでしょう?何も考えずに生きているの?
なんでなんのリスクもない映画で自分を成長させた気になるの?
と。
いじめ、嫌がらせ、学校もそうだし社会に出てもいくらでもあるのに99%の人はスルーするだけの状況で、この映画の高評価を見ると苦笑いしてしまいます。
興ざめしますよね。
映画男さんは映画や製作者に文句をつけてます。
コメントの人達を名指しで罵倒したりはしてません。
コメントの人達(の一部)は映画男さんの文句に文句をつけます。
それだけならいいのですが映画男さんを名指しで罵倒します。
いじめっ子や見て見ぬふり勢に近いのはどーっちだ?
あ、私もこの映画は好きじゃないです。インパクトがあってお手軽に感情を動かせるイベントを雑に並べただけのようにしか感じませんでしたね。絵と声優さんは良かったです。
原作は丁寧に感情描写やらがありました。まぁ、最後まで将也の事は好きになれなかったけど。
で、映画は時間制約あるから、この作品をダイジェストでしか作れない。それが分かってて、なんでこの作品選ぶかなぁ?ですね。しかも、掘り下げがいまいち。
せめて分割にするか初見お断りの原作のその後を作るとかにすれば良かったのにと思う。
この映画虫唾が走るほど嫌いって言うか、本当に無理だったことは覚えているんですが、何がそんなに無理だったのか?ってずっと自分の中で疑問に思っていました。それの答えが全てこの記事に簡潔に書いてあって本っ当にスッキリしました!ありがとうございます。
スッキリしてもらえてよかったです。
私もこの映画嫌いですわー。いじめられっ子がいじめっ子好きになるってどんなファンタジー!?って思いましたし。それも私もいじめられっ子だったからっていうのがあるんですけど。
それから、アニオタ?信者?が貴方の批評を「ひとつの意見、感想」として捉えず口汚く反論する図を見て益々嫌いになりました。ファンの振る舞いによって嫌いになるケースもあるんですよ。信者さんたち。
ファンタジーすぎますよね
※これはフィクションです
前はイジメに対して色々考えてもらいたいみたいな感じで作ったのかなと思ってた。
ただリアルってアニメとかドラマとか映画とかじゃないんだよね。どうしても作り物はリアルとは程遠い、どんなに考えて作ったとしても。だからこんなにも賛否両論が出てくる。このアニメを良いといってる人は実際イジメとかを経験したことがない人が殆どじゃないのかな。だからそれでもイジメに対してちゃんと考えてくれるならアニメに矛盾があっても良いと思う。逆に悪いと思ってる人もリアルとのギャップをちゃんと考えてくれていて、これも良いと思う。どっちであれイジメについてちゃんと考えてくれるならそれで良いと思う。
結局は、作り物じゃリアルは描ききれないだけ。この作り物のアニメの出来不出来よりも、イジメについてちゃんと考えることを真剣に考えて欲しい。
映画男さんこんにちは。
確かに、「恋愛」の点で言うと、原作者とアニメ監督で、大分違いがあります。(良く言えば「改変」、悪く言えば「解釈違い」)
前者は、「石田と西宮の間には恋愛感情はない、少なからず石田→西宮はない」と仰っています。例えば、「君に僕が生きることを手伝ってほしい」も、「恋愛の告白ではない」とのことです。
ただ、後者の描き方やメディアの売り方、aiko氏のEDテーマが「ラブストーリー」を押し出しているようにも感じたのも事実です。※元々京アニさんは、他の作品でも恋愛要素を加えることがあります。勿論、「描き方を否定した」訳ではないです。しかし、ここに疑問を持つご意見があった理由もわかります。※昨年公開されたアニメ映画「ジョゼと虎と魚たち」もこういう恋愛の「改変」がありました。これは京アニ作品ではないですが。
また、「加害者の贖罪」ですが、原作者も、「ここに比重を置いてはいたが、被害者の視点をきちんと描き切れなかった」とも仰っています。先生には、実際に聾唖者の友人がいて、その友人と仲良くしていたそうですが、その子は「去ってしまい」、結局良い関係は築けなかったんだなという後悔はあった、
もし、その子に話を聞けていけば、実際の西宮の立場だった人の視点を作品で強化できたかもしれないと感じられたとか。
ただ、原作でもアニメでも「ディスコミュニケーションの怖さ」についてはしっかり描いていたと思います。色んな意味で「問題作」ではありますが、私は少なからずこの作品を鑑賞出来て良かったと思います。
なお、聲の登場人物については、原作者は「全員嫌い」、アニメ監督は「全員愛おしい」と仰っています。ここもある意味、「解釈違い」と言えば、そうなのかもしれませんね。
すみません、また、「加害者の贖罪」について公式ファンブックやブログ記事で再度調べたところ、上記の内容は誤りでした。お詫び申し上げます。ここは読み飛ばしてください。※コメントの削除方法がわからなかったので、此方にて失礼します。
公式ファンブックより、「西宮のモデルとなった人物は、聴覚障害者ではなかったが、大今氏が上手く人間関係を作ることができず、自ら命を断ってしまった。その人物の死で、大今氏はは衝撃を受け、「自分が変わらなければ」と思い至った結果、『聲の形』という漫画を描いた」とのことでした。
あの子の声を聞けなかった、気づけなかった後悔、「ちゃんと見る」、「ちゃんと聞く」という石田が抱える課題に影響を与えています。きっかけとなったその友達の耳がきこえなかったわけではありませんし、自分にとっては硝子の聴覚障害は作品のテーマを読者に気づかせるためのモチーフの一つであって、描くべき“本題”ではなかったんです。
勿論、これは大今氏本人にしか分からないことですし、多くの読者には関係のないことです。だから、映画化の際には削られました。
また、大今氏はお母様が手話通訳者で、ご協力もあったそうです。そこからもヒントを得たのではないかとも思います。
アンチワラワラで草ァ!
仲間同士でニチャニチャと気色悪い。
人と違う俺カッケーだろアピールがとにかくうざい。
悪口だけでダラダラと内容の無い記事、みるだけ時間の無駄なんでタイトルと初めと終わりだけパッと見ただけだがこりゃ内容無い批評だわ。
アンチってどうしてこう得意気に何かを貶して喜ぶんだ?それ、すごく気持ち悪いって自覚無いのか?
ほならね、自分で「素晴らしい」作品を作ってみなさいって話。
こんなアンチ記事にコメントする俺も俺だけど、流石に見ていられなくて一言残させてもらった。
あんた、何かを貶す記事ばかり書いてて恥ずかしくないの?
あ、ちなみに広告ブロック使ってるから俺がこの記事見てもあんたの収益ゼロ(^д^)プギャー
管理人はこのコメントを封殺するなよ?これもひとつの意見だ。
よかった。俺はこれを楽しめる感性を持ってて
映画男氏は過去にいじめに遭っていたのですか?
映画男さんの洋画の文句には、普通の人の普通のコメントが多いのに、京アニの作品に文句を言うと、殺意があるような誹謗中傷罵詈雑言の嵐。こういうコメントする人って、自分がやってることが、この映画の西宮のノートのノートに罵詈雑言を書いたいじめっ子たちがやったことと、同じことに気づかないんでしょうか?
いろんな価値観があると思いますので、批判するつもりはありませんが私は、映画男さんと同意見です。なぜこんなに過大評価されてるのか理解できません。ホントのイジメはもっと残酷なのに軽く扱いすぎだし、イジメっ子は普通改心なんかしません。最後の皆仲良くハッピーみたいな終わり方も酷すぎる。映画だと割り切れたらいいのかもしれないけど、現実はそんな甘くないので感情移入できませんでした。
今更コメントするのもどうかと思ったのですが、少しだけ自分の考えを述べさせて頂きたいと思います。
主人公が自殺をしようとしていたのは
硝子への罪悪感からと自分自身への嫌悪感からだと思います。成長して小学生だった頃の自分がいかに酷い事をしていたのか理解したのでしょう。
硝子へ会いに行ったのは死ぬ前に謝りたかったんではないですか?それが自分勝手な事だと本人も認識していましたが、それでも謝りたかったのでしょう。他にも色々と疑問があるようですが、映画を観ていれば分かるものばかりです。理由が単純・軽い、というのも結局は貴方個人の感想でありそれは間違いでも正解でもなく、ただの感想でしかないでしょう。他人がどう感じるのかは貴方が決めれる事ではありませんし、その逆も然りです。
批評する事は全く悪い事ではありませんが、もう少し客観的に映画の評価をしてみると楽しいかもしれませんよ。
貴方は少し主観的過ぎるのかもしれません。
長々と失礼致しました。
今年のGW、なぜか私はこの映画を観た。
これが実に様々なバイアスをかけてから観なければ楽しめない映画であることには最早議論の余地はないように感じた
…が。映画を観て、このサイトを観て、私の胸には複雑な感情が去来している笑
それは【何故自分の好きなものが少しでも貶されると人間はこうも攻撃的になってしまうのか】というものだ…()
ここで発狂していた青少年ズ自身が貶められているわけでは全くない。そして自己の好みを否定されたくらいで映画男氏の感想すべてを否定して良いわけがないのだが…
まるで悔しさに映画男お父さんの腰にしがみついて泣きじゃくる子供のようではあるが…
或いはせめてこのサイトでおすすめされている邦画くらいは観とかないと映画男の言っていることが本当にわからないのかもしれないね。
せめておすすめは見てもらいたいですね
あれこれ主観の不満点をつらつら文句言いたいという趣旨のブログだから内容は批判的でいいと思う。
数年間コメントが伸びてるのスゴ
この映画を見て若かりし頃の記憶が蘇りました。
実は中学生だった頃の私も学校一のワルガキと言われており、私がからかい始めたのをきっかけに同クラスの女の子がイジメの対象になりました。その女の子は脳腫瘍が原因で上手く言葉が話せず、それを面白く思った私のイジメはエスカレートし飛び蹴りをしたり黒板に中傷的な言葉を書いたりと、それをみんなで笑って見ているような状態でした。
ある日いつものようにイジメをしていた時突然その女の子は倒れてしまい救急搬送されました。
原因は頭部の衝撃による脳内出血だったらしく、誰が叩いたのか学級裁判が始まり、本作と全く同じ展開で一緒にイジメていた奴らも私を指さしました。
その後は腫れ物に触るような扱いをされ友達は全員去り、気がつけばイジメていた女の子と私だけがみんなに避けられると言った状態になってしまいました。
自分が嫌がらせや迫害を受けて初めてその女の子の辛く悲しい気持ちを理解出来ました。
素直になれなかった私はその女の子に謝ることは出来なかったけど、いつしかその女の子を守る側になっていました。
中学卒業後も偶然の縁がありその女の子と引き続き関係が続いていました。
そして2人とも成人し、その女の子に過去の精算をするべく改まって昔の行いについて謝罪をしました。
その時その女の子は、いちばん嫌いな人だったけど、いちばん私に優しかったと言って貰えました。
そしてそこから数十年たった今もお互い大切な存在で愛し合っています。
そんな嘘みたいな展開が本当にあるので、この作品は気持ち悪い、ありえないなど言っている方に対して現実的に有り得る話だと伝えたくお話させて頂きました。
長文失礼致しました。
色んなことに対してなぜ?って疑問に思ったり伝わってこないのは伝えようとしてるんじゃなくて考えさせようとしてるからでは?全て懇切丁寧に伝えてそれが誰の心に残るか逆に疑問、多分こーゆー問題はそれぞれが自分で考えて結論を出すべきで正解なんてないのでは。軽く自殺という思いを扱ってるって思うのは思考停止してそーいうふうに受け取った人達自身なのでは(別にそれが悪いとは言わないけど思ったことを言うだけ。
ただの一意見にここまで必死に反論できる人がいるのすごい
個人的には7巻まである原作をあの時間に凝縮するとそりゃこうなるわなっていう出来だった。原作面白いから映画しか見たことない人は是非読んでほしい。まあ映画の段階で映画男さんくらい嫌ってる人なら面白いとは思えないかも
言いたいこと全部書いてありました。
1番腑に落ちないのはしょう子の母親。命を助けて貰ったからって、自殺の元凶となった(であろう。自殺の理由がよくわからない)少年の母親に土下座する?そこは複雑な顔で頭下げるのが心情としては限界だと思う
全てが軽すぎる。一時流行ったケータイ小説みたい。すぐいじめられてすぐ好きになってすぐ妊娠してすぐ難病になってすぐ死ぬ