前半退屈で死にそうになるけど、後半盛り返す夫婦ドラマ。あなたの結婚相手がこんな人だったらどうする?と問いかける映画です。57点(100点満点)
映画「追想」のあらすじ
1962年7月、歴史学者を目指すエドワード・メイヒューとバイオリニストのフローレンス・ポンティングは結婚し、ハネムーンへと旅立った。生まれや育ちが違う2人ではあったが、その愛は揺るぎないものであった。
夕食の最中、2人は子供をもうけることについて話し合っていた。エドワードは性欲も盛んであったが、フローレンスにがっつくような真似はしなかった。一方のフローレンスは旧時代の価値観の影響を受けており、子供を作ることには慎重だった。
しかも、彼女には父親から性的虐待を受けた経験があった。それ故、フローレンスは性行為をすることに恐怖心を抱いていた。しかし、新婚旅行で何もしないというわけにはいかないので、フローレンスはエドワードに処女を捧げる覚悟を決めようとしたが、どうしてもできなかった。
そうこうしているうちに、2人は初夜を迎えることとなった。ところが、ここでハプニングが発生した。過度に興奮したエドワードが前戯の最中に射精してしまい、精液がフローレンスの腹部にかかったのである。トラウマが蘇ったフローレンスはそのまま部屋を飛び出してしまった。怒りや当惑、羞恥のために平静さを失った2人は激しくお互いを罵倒し合うのだった。
wikipediaより
映画「追想」の感想
イアン・マキューアンの小説を基にした「クーリエ最高機密の運び屋」で知られるドミニク・クック監督による、ラブラブのカップルが結婚直後に破滅へと向かう大人の恋愛ドラマ。主演は「レディ・バード」や「ブルックリン」でお馴染みのシアーシャ・ローナン。とにかくフリが長いですが、そこを乗り越えると面白くなります。
物語は、相思相愛のカップル、エドワードとフローレンスの二人が結婚し、海辺のリゾート地でハネムーンを楽しんでいるところからスタートします。
二人はお互いの出会いや過去のことなどを振り返りながら、いよいよ迎える新婚初夜を前に緊張を隠せないでいます。
エドワードの母親は列車のドアに頭をぶつけ脳に障害を負っていました。そのため裸で家の中を歩いたり、人の名前をすぐに忘れたり、とコミュニケーション能力を失っています。
そんな母親にも優しく接するところを見てエドワードはますますフローレンスのことが好きになっていったのでした。
一方のフローレンスの母親は共産主義者で差別的なところがあります。父親は感情的で、テニスの試合でも人には絶対に負けたくないような完璧主義者。エドワードはそんなフローレンスの父親のもとで働くことが決まっていました。
お互いの家庭環境や育ちの違いを乗り越え、結婚したかに思えた二人でしたが、いざ初夜を迎えるとそれ以上に重大な問題を抱えていたことに知ることになる、というのがストーリーの流れです。
あまりにもスロースターターなので途中退席する人がいてもおかしくないタイプのじらし演出になっていて、もったいないことしてますね。
時間をかけて徐々に本題に入っていく、というのは小説ではよくても、映画だとまあきついです。原作のテンポや展開をそのまま映画にしちゃうとまずスローになりますね。
原作も読んでないし、事前になんの情報も入れてないと最初の1時間ぐらいはなんの映画なのかさっぱり見当がつかないでしょう。その点では不親切ともいえるし、視聴者の忍耐力を過信しているようなところがありますね。
一方で夫婦がハネムーンで初めて愛し合おうとして失敗する下りから急にアクセルが入って話に引き込まれ、その先が知りたくなりました。
一体、二人の何がいけなかったのか。フローレンスは何を隠しているのか。過去に何があったのかなど様々な疑問が浮上してきては、それに答えていく感じで物語が進むので、秘密が明らかになる満足感と我慢の末やっとご褒美がもらえた気になりました。
シアーシャ・ローナンのほうが有名だからか彼女をメインに売り込んでる感が強いですが、実際のところ物語は男性目線で成り立っています。
エドワードはフローレンスと結婚初日に別れを決意し、実家に帰っていきます。しかし年を重ねるごとにフローレンスの気持ちが理解できるようになり、未練タラタラになり、いくつになって振り返ってもやっぱり彼女のことを愛していた、と後悔する、というのはいかにも男あるあるを描いていますよね。
フローレンスも同じ気持ちでいるかのような描写も見られたけど、女性のほうは別れたら別れたらで切り替えが早くて、ケロっとしてそうだけどなぁ。僕の友達のお母さんなんて、お父さんが亡くなった3か月後に新しい彼氏できてたよ。早くない?
でも女性って本来そういう生き物だっていう認識を持ってたんですが、間違ってますかね、この認識?
何年経ってもお互いがお互いのことを忘れられないでいた、っていうのは物語ではよくある話です。しかし現実だったら大抵どっちかは忘れてたり、もっと好きな人ができたり、温度差あったりしますよね。そこを描けたら最高だったのになぁ。
映画「追想」のネタバレ
さて、フローレンスはなぜ行為のときに取り乱したのか。曖昧ではありますが、過去に父親から虐待を受けた、というのを示唆する回想シーンがいくつかありましたね。
そのせいで行為そのものに対して恐怖心を抱くようになり、どうしてもできなかった。興味もなければ興奮もしない「不感症」の体になってしまった、と理解できそうです。
ただ、それならそうと、フローレンスは結婚前にエドワードに言うべきでしたね。そんな大事なこと隠すってすごいな。逆の立場で考えると、エドワードが結婚後に初めて「僕、実はインポテンツなんです」って告白するようなものだからね。
そもそも婚前交渉をしてないことが一番の問題でしょう。昔の時代設定にしている分、「昔だからそういうこともあるよねぇ」で済まそうとしている感が強いけど、いくら昔だからってイギリス人なら結婚前でも普通にやってただろって思うんですけどね。
さて、ここで考えたいのは、結婚相手が性行為ができない人だったらどうするかということです。フローレンスは、エドワードにほかの女性と寝てもいいから、一緒に幸せになろうと提案します。これをエドワードはバカげた考えだとして一蹴します。
男も女もこんな状況に陥ったらどうしますか、という深刻なテーマをいきなり投げかけてきましたね。今までそんな雰囲気なかったのに突然壮大なテーマが飛び込んできてびっくりしましたよ。
エドワードはフローレンスの提案を呑むべきでしたね。「私以外の人としても全然いいからね。私気にしないから」なんていう嫁はある意味理想の結婚相手で、1960年代にそんな先進的な考えができるって相当進んでますよ。今の時代になってもできない人がほとんどなんだから。
エドワードが後悔したのも無理はないです。「フローレンスと結婚してたら、今頃浮気し放題だったのになぁ。もったいないことしたわー」って思ったかどうかはわかりませんが、「ある意味、本当に僕の幸せを考えてくれていたんだなぁ」と気づいたことは確かでしょう。
だから「浮気してもいいからね」というパートナーは大事にしたほうがいいですよ。実際に浮気がバレたときどうなるかは保障しないけど。
コメント
これとよく似たケースを実際にやってる夫婦を取材した記事を見たことがあります。
記事では男二人に女一人が同居で、正式な夫婦に男友だちが一緒に暮らしているというものです。
日本人ですよ。
で、その男は何してんの?ってことなんですが、なんと、奥さんの夜のお相手を専門にしているらしいです。は?
旦那さんはSEXが苦手らしく(詳しいことは忘れました)、可哀想な奥さんのために行為だけをする人間を用意したと。また奥さんもそれを受け入れているというから驚きです。
世の中不思議なことがあるもんです。
記者がご亭主に「ご主人は他の男に奥さんが抱かれているって普通にいやじゃないんですか?」ときくと、「いや、そんなことはないですよ愛があるので」みたいなことをシレッと答えてました。
これを、単なるキワモノの嗜好とみるのか、はたまた生存本能の表れとみるのか、いや理性の勝利というのか・・。
いずれにしろ、あっしには何のかかわりもねぇ話です。
それもすごい話ですね。外でするならまだしも同居はさすがにきついですねぇ。