ネタがすっかり尽きたキム・ギドク監督によるドキュメンタリー風一人芝居。エゴとナルシシズムに溢れた映画史上に残る恥ずかしい映画です。22点(100点満点)
アリランのあらすじ
カンヌ、ベルリン、ヴェネチア、世界三大映画祭で高い評価を獲得してきた鬼才キム・ギドク。年1本以上のペースで精力的に映画を作り続けてきた彼が、2008年の「悲夢」を最後に表舞台から姿を消した。3 年間、彼は一体どこで何をしていたのか……?なぜ映画を撮らなかったのか……?その謎が明かされる。
隠遁生活をおくる雪深い山小屋、栄光の影で人知れず傷を深めていった人間の心の叫びが、カメラに向かって語られる。しかし本作は、一監督の悲痛な心情の吐露だけでは終わらない。
尋ねる自分と答える自分、そしてそれを客観的に分析する自分と、阿修羅像も顔負けの一人三役を演じるだけでなく、自身の影も登場させるなど、観客を楽しませる仕掛けが満載。さらには殺し屋にまでなってしまうという奇想天外な展開もスリリング。転んでもタダでは起きない精神と、鬼才の面目躍如な大胆不敵な演出で、異色のエンタテインメントへ昇華してゆく。
シネマトゥディより
アリランの感想
「メビウス」、「嘆きのピエタ」、「悪い男」、「悲夢」などで知られるキム・ギドクに心酔する大ファン以外にはあまり楽しみの要素が見当たらない迷惑な一本。
汚いおじさんが山小屋で一人寂しく、グチグチ不平をもらし、いきなり怒りだしたかと思ったら、次の瞬間には歌いだしたり、また次の瞬間には泣き崩れたりする映画です。
おそらくキム・ギドクを全く知らない人からしたらその辺にいる「酔っ払いのおじさん」を見ているのとなんら変わらないでしょう。これで1時間45分はさすがにきつい。
キム・ギドクが自分の苦悩をカメラにぶちまけている最中に「俺は世界中の映画祭で賞をもらったよ。でもそれがなんだってんだよ。そんでよお、俺の映画はよお、アメリカ、ドイツ、東欧州、アジアなど世界各国で上映されたよ、でもそれがどうしたってんだよ」と、どさくさにまぎれてかなり自慢話を織り混ぜていたのが笑えました。
そんな話し方もさることながら、山奥で「隠居生活」をしているという状況の中でカメラ越しに髪の毛を何度もセットしたり、さらには劇中に「アリラン」を幾度もなく熱唱するシーンを放り込んだりと、こんなにキム・ギドクが自分大好き人間とは思ってもみませんでした。
アリランのような自分自身の熱唱シーンを恥ずかしげもなくドキュメンタリーに挿入できるのは日本では河瀬直美ぐらいでしょう。
「垂乳根(たらちね)」というショートドキュメンタリーがあって、河瀬直美が自分のお婆ちゃんに向けハッピィバースデイを本気で歌うシーンがあります。
世界中の映画の中でもあの歌か、このアリランの歌のどっちかが世界で一番ヒヤヒヤします。聞いていてどっちが恥ずかしいかぜひ国民投票をしてみたいですね。
マリリン・モンローかお前は!!
「悲夢」でも書いたのですが、この映画を見ればキム・ギドクがスランプに陥っていて、自分でもそれを自覚していることが分かります。
この映画には、世間にアピールするものがなくなった女タレントが最後に自分の裸を売ってなんとか挽回しようとしているような落ちぶれた雰囲気が漂っています。
それはこの映画がフィクションだろうと、ドキュメンタリーだろうと同じです。キム・ギドクが「悲夢」を最後に3年間映画の世界から離れていると悩んでいたとしても、作品と作品の間が3年ぐらい空くことは芸術路線の映画監督にしては別に珍しいことでもなんでもないのに、ここまで焦っているところを見ると、さてはよっぽど追い込まれてるんだなあという気がします。
確かに「悲夢」みたいな凡作を撮ってしまったら、どんな監督でもあんなふうに路頭に迷ってしまうのかもしれません。でもそんなに気にしなくていいのに、あの映画の原因はオダギリ・ジョーにあるんだから。
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