若干17歳でノーベル平和賞を受賞したパキスタン人少女マララの素顔に迫ったドキュメンタリー映画。
あまりにもマララの徳が高すぎて、人としての格の違いを痛感させられ、思わず自分自身のことが恥ずかしくなってくる作品。77点(100点満点)
わたしはマララのあらすじ
詩人で学校の経営者である父と、文字の読めない母の長女として生まれたマララは、パキスタンのスワート渓谷で育つ。実名を伏せてタリバン支配下にある故郷の教育事情や生活をブログで紹介していたが、ドキュメンタリーに出演したことで身元が知れタリバンの標的になってしまう。そして15歳だった2012年、スクールバスで下校途中に襲撃を受け……。
シネマトゥディより
わたしはマララの感想
「不都合な真実」でアカデミー賞ドキュメンタリー映画賞を受賞したデイビス・グッゲンハイム監督によるパキスタン人少女マララを題材にした記録映画。
タリバンに頭を撃たれ、昏睡状態に陥り、死の淵から生還した少女マララの生活に密着し、彼女の日常をほど良く映し出しています。
マララの生い立ちや家族のバックグランドを紹介するのに実際の映像や写真だけでなく、上手い具合にアニメーションを使っていて、それがストーリーを視聴者にかなり分かりやすく、見やすくさせていました。演出が親切で好感が持てますね。
マララはBBCニュース向けにブログを書いたり、地元メディアのインタビューに応じたりしているうちにタリバンに目を付けられ、スクールバスに乗っているときに襲撃されたそうです。
僕は知らなかったんですが、そのとき撃たれたのは彼女だけでなく、ほかの女生徒たちも数人数箇所を撃たれたそうです。実際、被害に遭ったほかの生徒たちもカメラの前に登場して、「私は腕と肩を撃たれた」といったようなことを話しています。
そんな中で一体どうしてマララだけが世界中にその存在を知られるようになったのか、というのが不思議でなりませんでした。
多くの人々から同情や支持を得て、たちまち対タリバン紛争のアイコンとなったのは、タリバンに苦しめられているパキスタンやアフガニスタンといった国をはじめ、欧米諸国がそういう存在を必要としていたというのももちろんあるでしょう。
しかしやはり最大の理由は、死から生還したという神がかりな奇跡的なエピソードと、年齢を超越した彼女の強烈なキャラクターが世間に受けたからじゃないかと思えました。
あれで撃たれた場所が頭じゃなくて、致命傷になりえない手とか足とかだったら、これほどの騒ぎにはならなかったはずです。そういう意味では事件は必然だったのか、なにか運命的なものを感じさせますね。
つい最近までパキスタンの村にいた少女が、瞬く間にして世界的に有名になり、ものすごい影響力を手にして、人生が一変する、その様子が映像を通じて分かるのが面白いです。
なによりマララ自身がその運命と重い責任を受け入れているのが驚きで、普通の少女なら死ぬ思いをして人前に出て話をさせられたら涙の一つや二つは流すものですが、マララは全く悲しむ素振りは見せません。
それどころか自分を殺そうとした犯人に対してもこれっぽちも怒りがない、などと言います。若干17歳で世界中の紛争地帯や難民キャンプを回り、女性たちの地位向上のために演説をしたり、政治家たちと堂々と対談したりしています。
どうかお願いだから一体どんなお父さんとお母さんに、どんなしつけや教育を受けたらあんな優秀な子に育つのか教えてもらいたいです。自分の17歳のときと比べると、あまりにも次元が違ってもう人間でいるのが嫌になってくるレベルです。
一方でできればもうちょっとマララのティーネイージャーの姿が見たかったですね。あるシーンでは監督が男子についてや好きな有名人について質問していましたが、そのときの彼女の照れようが唯一少女らしい姿でした。でもそれだけでした。
あれでマララから腹黒いことや不平の一つでも言わせてたらもっと面白かったんですけどね。「今の私ならどんな男でも選びたい放題よ。結局、世の中お金と名声だわ」などといった勘違い発言があったら、むしろホッとしたことでしょう。
しかしカメラの前だけなのかどうかは知りませんが、最後までマララはただただ徳の高い人でした。彼女ばかりはセンテンス・スプリングの情報網をもってしても、おそらくスキャンダルは出てこないでしょう。
コメント
観たら自分の存在が恥ずかしくなる、嫌になる、という違う意味での鬱映画でしょうか
使命を持って生まれた人と、何もない自分との対比があまりに辛くなりそうなので、なるべく観ないようにします
一抹さん
マララが立派だというだけで、欝になるほどのものではないです。