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I am ICHIHASHIはディーン・フジオカのエゴの塊!感想とネタバレ

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ichihashi

ディーン・フジオカが監督&主演を果たした、センスのかけらもない犯罪ドラマ。主人公の市橋を格好つけて描いているだけの逃亡劇で、ディーン・フジオカ自身がそもそも役作りができていない駄作。30点(100点満点)

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I am ICHIHASHIのあらすじ

2007年3月、千葉県市川市のマンションでイギリス人女性の変死体が発見される。住人である市橋達也は捜査員の追跡をかわして、行方をくらましてしまった。市橋は青森、四国、沖縄、名古屋、大阪、福岡と行く先々で名前を変え、顔さえも変えて、逮捕されるまで2年7か月にも及ぶ逃亡を続ける。

シネマトゥディより

I am ICHIHASHIの感想

ディーン・フジオカって金城武二世って感じがするのは僕だけでしょうか。海外生まれで、海外育ちなのかと思っていたら、普通に日本育ちなんですね。だったらなんであんなに台詞がカタコトなんですか? あの台詞の言い回しは完全に金城武二調じゃないですか。

この映画の最大の欠点と問題点は、ディーン・フジオカが自分でメガホンを取ったにもかかわらず、自分の演技と役作りに対して甘すぎるところです。市橋達也は、逃亡中に大阪のドヤ街で日雇い労働をしたり、沖縄の島で野宿などをしたりしてその日を凌いでいたというのに、劇中では主人公がやたらと格好つけているんですよ。

髪の毛もぼさぼさにしているようで、パーマがかかったかのようなオシャレになってしまっているし、服装もボロボロの汚い服を着ていないとおかしいのに普通にきれいな格好をしていたり、ハサミで唇を切っても、整形手術をしても、主人公の顔が変形していかないし、ストーリーよりも、リアリティーよりも結局は自分を美しく見せたいというエゴが出ているのが最悪です。

おそらくこの映画に興味があるという人は、市橋達也は一体なぜイギリス人女性を殺害したのか、どういう事情があったのか、殺害当時は何が起こったのか、というのが一番知りたいはずです。彼の本も読んだんですが、本にもこの映画にもどこどこに逃亡していたということがつづられているだけで、殺害理由がちっともはっきりしないんですよ。

あくまでも、拒絶された>腹を立てた>殺した、みたいな大雑把のことしか説明していなくて、本を書くにしろ、映画を撮るにしろ、市橋達也が育った家庭環境や女性観といったものから解明し、掘り下げてくれないと全く意味がないんです。

物語の見せ方は、終始ぶつ切りで「IN OKINAWA」とか「IN OSAKA」とかのテロップを出しながら、市橋達也が逃亡中にまわった町を紹介していきます。しかし緊張感のない逃亡劇は、まるで大学生がするアジアの貧乏旅行のようで、”命がけ”の気迫が伝わってきません。途中、途中でありえない記者のインタビューシーンが割り込んできたりもしますが、あれも邪魔でしょうがなかったですね。

そういえば、あんなに日本映画にたくさん出ていた金城武二は一体どこに行ってしまったんですかね? おそらくこの分だとディーン・フジオカもあと数年もしたら、「ディーン・フジオカってどこに行ったんだろうね?」と言われていることでしょう。

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