衝撃的なエピソードがあるわけでもなく、感動的な音楽が聴けるわけでもなく、ライブ感覚を味わえることもなく、自由ばかりを求めてはバイクに乗って消えていくボブ・ディランを見せられるだけの代物。見なくていいです。15点
名もなき者/A COMPLETE UNKNOWNのあらすじ
1961年、ボブ・ディランはニューヨークへ移り住み、入院中の憧れの存在であるウディ・ガスリーに会おうとする。ディランは病院でガスリーと、彼の親しい友人であるピート・シーガーと出会う。ディランはガスリーのために書いた曲を披露し、2人のフォーク・ミュージシャンを感動させる。シーガーはディランを自宅に招き、彼をニューヨークのフォーク・シーンに少しずつ紹介していく。
ディランはコンサートでシルヴィ・ルッソと出会い、彼女に対して反骨精神に満ちた意見を語り、カーニバルで働いていた話をしながらピーナッツを差し出す。その魅力に惹かれたシルヴィとディランは交際を始め、同棲することになる。
その後、ジョーン・バエズの演奏の後、シーガーは業界関係者やマネージャーのアルバート・グロスマンが集まるオープンマイクの夜にディランを紹介する。ディランはジョーンに軽く言い寄り、観客を魅了する。これに感銘を受けたグロスマンは、すぐにディランと契約を結ぶ。ディランはアルバム制作に取り掛かるが、レーベルから主にカバー曲を録音するよう強制される。結果として売上は伸び悩み、ディランは不満を募らせる。
シルヴィが長期間のヨーロッパ旅行に出る前、2人は口論をする。彼女はディランの冷淡な態度と、過去を意図的に隠そうとする姿勢に苛立つ。それでも彼女は「オリジナル曲の制作にこだわるべき」とディランを励ます。シルヴィの不在中、ディランは政治的・社会的混乱を利用し、社会的メッセージを込めた楽曲で支持を集める。この動きがジョーンの関心を引き、2人は不倫関係と音楽的コラボレーションを始める。シルヴィはディランとジョーンの距離が近すぎることに疑念を抱き、1965年までにディランとルッソは別れることとなる。
スターとなったディランだが、アーティストとしての自由は得られなかった。彼は音楽業界やフォーク・コミュニティの期待に縛られていることを嘆く。ジョーンとの待望のツアーも悲惨な結果に終わる。ジョーンはディランのエゴを批判し、観客の求めるヒット曲を演奏するよう要求するが、ディランはそれを拒否し、演奏中にステージを降りてしまう。
自由を求めるディランは、エレキギターやロックの要素を取り入れ始める。フォークシーンではアコースティック音楽が圧倒的に支持されており、彼の新しい方向性は物議を醸す。ディランはバンドを編成し、『Highway 61 Revisited』の録音を開始する。しかし、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでヘッドライナーを務めることが決まっていたディランがエレキを使ったことは、主催者側にとっても懸念材料となる。
ディランはシルヴィをフェスティバルに招待し、関係を修復しようとする。シルヴィはそれを受け入れるが、ディランとジョーンのデュエット「It Ain’t Me Babe」を目にし、自分がこの関係に居場所を見つけられないことを悟る。彼女はショックを受け、その場を去る。
フェスティバル主催者たちはディランの「エレキ演奏」を阻止しようと試み、最終的にはシーガーが「君の選択次第で、私の人生の仕事まで台無しになる」と涙ながらに訴える。しかし、酔ったジョニー・キャッシュが「やるべきだ」と背中を押し、ディランはエレキ演奏を決行する。観客は激怒し、罵声や物を投げつける。シーガーを含む委員会は音を遮断しようとするが、グロスマンとシーガーの妻トシがそれを阻止する。
ディランはシーガーや主催者からフォークソングでのアンコールを求められるが、最初は拒否する。しかし、キャッシュがアコースティックギターを手渡すと、ディランは演奏を承諾する。
翌朝、ニューポートを後にする際、ジョーンがディランに声をかける。
「あなたは”勝った”わね。ついに、誰からも自由になれたのね。」
ディランは町を離れる前に、最後にガスリーを訪ね、それからバイクに乗って旅立った。
名もなき者/A COMPLETE UNKNOWNのキャスト
- ティモシー・シャラメ
- エドワード・ノートン
- エル・ファニング
- モニカ・バルバロ
- ボイド・ホルブルック
名もなき者/A COMPLETE UNKNOWNの感想と評価
「ウルヴァリン:SAMURAI」、「アイデンティティー」、「LOGAN/ローガン」、「フォードvsフェラーリ」などでお馴染みのジェームズ・マンゴールド監督による、フォークシンガー、ボブ・ディランの伝記映画。アカデミー賞ノミネート作品です。
音楽シーンを始め、ストーリーが絶望的に平凡で退屈で、ティモシー・シャラメ、もしくはボブ・ディランの熱烈なファンじゃない限り特に見る必要のない映画です。「ボヘミアン・ラプソディー」しかり、「ロケットマン」しかり、「エルヴィス」しかりこれまで数々のミュージシャンのバイオグラフィーが公開されていますが、もうお腹一杯なのは自分だけじゃないはずです。
結局のところ適当な俳優に歌手の物真似をさせて、レコーディング風景やライブの様子を流すだけでミュージカル映画が一本できちゃうような手抜き感があって、どう考えても本物のライブには勝てないし、当時の熱狂が伝わってくるはずがないんですよ。
となると重要なのは音楽シーンではなく、むしろストーリーのほうで、その肝心なストーリーが本作はとても薄い印象を受けました。要するにボブ・ディランがどうやって成功していったか、その後どんな困難に直面したかというのをとんとん拍子に描いているだけで、なんか一つ一つのエピソードがもれなく弱いんですよ。目玉のシーンはフォークシーンでエレキギターを取り入れたのが当時画期的で受け入れられなかったっていうくだりでしょうか。
「自由な俺は誰に何を言われようと好きなようにやってやるぜ」と我を突き通す男を格好いいと思うかどうかでこの映画の評価も変わってきそうです。
ボブ・ディランをミステリアスに描こう描こうとするばかりになんかただの面倒臭い男に成り下がっていたような気もします。
ティモシー・シャラメ扮するボブ・ディランは終始、音楽以外のことには無頓着で、女に対してもライフスタイルに対しても「何者も俺のことは束縛してくれるな」と言わんばかりの態度で生きていきます。
そして同棲中の彼女がいるにも関わらず、ミュージシャンの別の女に手を出したり、結構酷いことをするんですが、それでいて「え?何が悪いの?」みたいな顔をして平然としていて、それでも女たちからなんとなく許されてしまうキャラになっていました。女の部屋に突然押しかけて行って、彼女が寝ている横で深夜に平気でギターを弾くとか、まじで迷惑じゃない?
どうせなら自由を武器にもっとめちゃくちゃすればいいのに。5、6人のヒッピーの女たちと共同生活したりしてさ。それぞれに子供産ませて、キャンプファイアーを囲んでフォークソングで愛と平和と反戦を歌ってればいいじゃん。
音楽においては客が求めるヒット曲を演奏するのを拒否したり、客がいるおかげで音楽活動ができているという前提を忘れてしまうようなところがあり、それを彼の音楽家としてのこだわりとかポリシーだとして描写しているような印象でした。
ボブ・ディラン本人が自由をはき違えているからなのか、それとも本作が描く自由が安っぽいのかどうかは知りませんが、いずれにしても「自由を求める俺」に自己陶酔しているような感じがプンプンして、とても格好いいとは思えませんでした。
「俺は自由だからバイクに乗って旅立つからよ」みたいなラストもちょっと笑えますよね。バイクで走れば誰にも縛られずにどこにでも行けるじゃんみたいなノリが高校生っぽくて。
ティモシー・シャラメどうでした? 歌がうまいときと下手なときと結構な差があったような気がしましたが。曲によって歌うのが難しかったのかなあ。
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