ジャーナリスト伊藤詩織による、自らの性的暴行被害をドキュメンタリーにした賛否両論のある衝撃作。日本未公開作品です。35点
Black Box Diariesのあらすじ
伊藤詩織はある晩、当時TBSの政治部記者でワシントン支局長だった山口敬之と都内で食事し、数杯飲んだ後に意識を失った。翌日目覚めたのはホテルのベッドの上だった。そこで彼女は山口敬之から性的暴行を受ける。数日後、警察に行ったが相手にされず、被害届が受理されるまでには相当な日数を要した。
ところがホテルの防犯カメラ映像や事件当日の伊藤詩織の様子を目撃した目撃者情報などが寄せられるようになると、警察も動かざるを得なくなっていく。そしてついに山口敬之に対して逮捕状が発行されるが、なぜか寸前になって逮捕が見送られてしまう。やがて嫌疑不十分で不起訴となったことを受け、伊藤詩織は民事裁判を起こすことに。そこで彼女は刑事裁判の過程で集めた証言や証拠をドキュメンタリー映像として公開していくことに決意するのだった。
Black Box Diariesのキャスト
伊藤詩織
Black Box Diariesの感想と評価
伊藤詩織が監督した、日本で性的暴行事件がどのように扱われ、どのように抹殺されているかを生々しくつづった記録映画。アカデミー賞ノミネート作品です。見る人の偏見、思想、解釈、知識、事前情報などで意見が真っ二つに割れそうなデリケートな映画です。
冒頭数分で伊藤詩織が事件当日に彼女を乗せたタクシー運転手にインタビューする映像が入り、それに続いてホテルの防犯カメラ映像に切り替わります。その映像が決定的でした。
もし加害者、または被害者のどちらにも肩入れしていない人が見たら、あの時点で大半の人は伊藤詩織側につくでしょう。それだけ男側にとっては印象が悪いです。なんせ彼女は一人でタクシーを降りることもできなければ、まともに歩くこともできなかったことが映像で明らかになっているからです。
そう、伊藤詩織は間違いなく山口敬之に腕を抱えられて寄り掛かるようにして千鳥足で部屋に連れて行かれていたのです。その後どんなことがあったにせよ、あの時点では抱えられて部屋まで行ったという表現はあながち嘘じゃないです。まあ、あの動画を見てもまだ普通に歩いていたっていう人もいるんだろうけど。
伊藤詩織の経歴、性格、目的、狙い、主張などは置いておいて、あれだけ酩酊している女性をホテルに連れて行ってしまう男って、ちょっと男の僕からすると信じられないです。それもさらに自分の年齢も外見もわきまえず「お互いの合意の元での性行為」と言えてしまうところがなお恐ろしいです。
最近、日本を騒がせている芸能人による性加害問題ももれなくいい歳したおっさんが若い子に対して「お互いの合意の元での性行為」というファンタジーを抱いているのが事の発端で、男のすさまじい勘違いが根底にあるような気がするんですよ。
よっぽどの信頼関係や愛情が築けていない限り、自分より20も30も若い女子がある日突然汚いおっさんに性的興奮を覚えて合意のうえでやることなんてまあないから。おっさんっていうだけで、それはそれは脅威で、気持ち悪い存在だっていうのをもっと自覚しないと。
いや、でも世の中には格好いいおっさんもいるよっていう意見もあるでしょう。でも少なくとも性被害を訴えられるようなお前たちはその恰好いいおっさんの類じゃないからな。だからそんなおっさんたちは素人にむやみやたらに手を出してはいけないの。プロに行けよ、プロに。
万が一、嘘みたいな美女がおっさんである自分にノリノリでホテルについてくるようなラッキーデーがあったら、全力で疑ったほうがいいですよ。それを客観視できない男たちがハニートラップにはまったり、虚偽の性加害で訴えられたりするんだから。もう言わんこっちゃないっていう話じゃないですか。
伊藤詩織と山口敬之の件に限らず、よっぽどアウトな状況や身体的、物的証拠がない限り、密室で起きた出来事って当事者にしか分からない問題だし、そのとき双方がどう感じた、何をしたとか、何を言ったとか言わないとかとか水掛け論にしかならないじゃないですか。だからこそ絶対そんなリスキーな状況に身を置いたらダメなんですよ、特に男側が。
枕営業じゃないのかっていう意見もありますね。ただ、万が一枕営業だとしても相手が泥酔した状態、あるいは泥酔してたと言われてしまうような危なげな状況でやったらだめだから。酒に酔った女が翌日にあることないこと言い出すのなんてわかりきってるじゃん。
合意の元でやりましたなんて言いたいんだったら合意書を書いたうえで昼間に素面でやらないと。ホテルに入るときはなんなら女性を前に歩かせて、男は幼稚園児並みに誘導されてエントランスをくぐらないと。それか女性にはホテルの入り口から部屋までスキップしてもらうとかしないと。
この件の場合、刑事事件では不起訴。民事では「山口が同意なく性行為に及んだ」と認められたことでより一層問題を複雑にしていますね。罪は犯してないけど、同意なく性行為をしたってなんだよって。
そしてそんな社会の矛盾とも司法の歪みとも取れる現象をネタに映画にしちゃおうっていう発想と根性がもうすごいよね。それもほかの人が監督するんじゃなくて、自分で監督しちゃうんだから。それこそジャーナリズム精神なんでしょうか。どういう精神状態やメンタルで撮影に臨んだかは本人にしかわかりようがないので何も言わないでおきます。売名行為だ、金目当てだっていう批判もあるけど、たとえそうだとしてもかなりのリスクを取りましたよね。
といってもこの映画が絶賛に値するかというとそれはまた別問題です。確かに同様の被害に遭った女性たちからすると理解、共感、勇気をもらえることでしょう。伊藤詩織としてはそれこそが目的であり、それだけで十分なのかもしれませんが。
それに対し映画としては完成度は低いと言わざるを得ないです。実録インタビュー映像や関係者の声といった重要な部分が全て文脈をカットした部分的なものしか見せてないからです。そう、あくまでも証拠や証言が中心ではなく、伊藤詩織がいかに頑張ってるか、そんな伊藤詩織をどう映すかにフォーカスしてるんですよね。そこに違和感と胡散臭さとナルシシズムが見え隠れするのが最大の欠点です。
早い話、都合のいいところだけ切り取って、都合の悪い部分はカットしてると言われても仕方ない見せ方をしてますよね。シリアスな問題を扱っているだけにもったいないですね。特に自撮りカメラの前で泣くシーンとかはいらないかなって思いました。最近、自撮りカメラの前で泣いた動画をSNSにアップしてる女とか多いでしょ。世間の人々はあれに違和感を覚えるってなんでわからないんだろう。
もしこの映画がアカデミー賞を受賞したりなんかしたら山口敬之はさらに社会的に追い込まれることになるでしょう。果たして山口敬之は極悪非道のモンスターなのか。それともトラップにはまった哀れな男なのか。いずれにしてもやってしまったことは事実だから、そこがまた男って馬鹿だなあって思わせるものがありますね。
でもこういう事件こそ、やはり双方の主張を聞くのが大事で、もうこうなったら山口敬之はホワイトボックスというタイトルでアンサー映画を作るしかないでしょう。伊藤詩織の主張にも矛盾点があるようなのでその辺を改めて追及して、いかに彼が主張するような虚偽の性加害告発を受けたか、それによって自分の人生が滅茶苦茶にされたかを声を大にして言う以外、彼の汚名が返上されることは難しそうですね。まあそこまでのリスクは犯さないだろうけどね。
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