一般大衆よりも映画批評家向けの映画で、芸術性はあるもののエンタメ性に欠ける作品。普段からスローな欧州映画を見慣れていときついかもしれません。47点
ロスト・ドーターのあらすじ
レダは休暇中、ギリシャにある海辺の小さな町を訪問する。彼女が宿泊した宿はビーチからすぐ近くの素敵な家だった。
ある日、レダがビーチでのんびりしていると、そこにアメリカ人の大家族がやって来てはわが者顔でビーチを占領し始める。レダは不快に思ったが、娘を連れた女性ニーナに妙な親近感を抱く。彼女を見ていると、自分が娘たちを育てていたことを思い出すのだった。
しかしレダは決して子育てにいい思い出があるわけではなかった。むしろ逆だった。彼女はいまだに子育てをトラウマに思っており、それを克服できずにいた。
そんな中、ニーナの娘がビーチから行方不明になってしまい、大家族は大騒ぎして辺りを探し出す。
ロスト・ドーターのキャスト
- オリヴィア・コールマン
- ジェシー・バックリー
- ダコタ・ジョンソン
- ピーター・サースガード
- エド・ハリス
ロスト・ドーターの感想と評価
「クレイジー・ハート」や「ダークナイト」でお馴染みの女優のマギー・ジレンホールによる監督デビュー作品。エレナ・フェッランテの小説の実写化です。
二人の娘を持つ孤独な中年シングルマザーがギリシャのビーチを訪れたことで、過去の自分と向き合っていく様子を描いた、難易度高めの大人向け芸術路線映画で、面白いか面白くないかで言ったらそんなに面白くないです。現在と回想シーンを行ったり来たりするストーリー構成がややしつこく、エンタメ度は低めです。
ただ、ストーリーが予想できないところや、主人公が一体なにを感じているかなどを考えさせられる演出は冴えていて、ミステリアスかつ独特の恐怖をそそる話にはなっています。
ヒロインのことをどうでもいいと思うか、知りたいと思うかの微妙な路線を行くので、人によって合う合わないが大きく分かれるタイプの作品ですね。
大学教授のレダは典型的な拗らせおばちゃんでバケーション先のギリシャで人と交流したいのか、したくないのか、どっちとも言えない行動をします。
確かに一人でバケーションに来ているときに大家族とか、グループのやかましい観光客を見ると不快になったりすることもあるでしょう。特にビーチに来た大家族が下品なタイプだったので、彼らとは距離を置きたくなる気持ちは分かります。
とはいえ、そこにいたニーナだけには彼女に娘がいる、という自分との共通点もあってか異常な執着心を見せていくのです。
そしてニーナと娘が一緒にところを見て、自分と自分の娘たちの記憶をたどり、涙を流していきます。というのもレダは自分勝手な理由で娘たちを捨てた過去があるからです。
そんな過去をバケーション中にレダはなんとか克服していく、というのが本作のあらすじなんですが、レダの奇妙な行動の数々には惑わされました。
ニーナの娘が持っていた人形を盗んで、自分の宿泊先に隠しだすくだりがまさにそれで、人形がなくなって大騒ぎしている家族を後目に平気な顔をしていられる心理状態が謎でした。
あの人形はレダにとって娘たちとの記憶をたどる鍵のような存在だったんでしょうか。人形を手放すことはすなわち昔の記憶、またはトラウマを解放するに等しく、最後はやっとのことで人形を、トラウマを捨てることができた、とも考えられそうですね。
あの人形を持っていることがいつバレるのか、というのをスリラーにしているふしがあって、人形自体がある種のマクガフィン(プロット・デバイス)として機能していましたね。それはそれでいいんだけど、もう一つ人形に固執する具体的な理由や動機が欲しかったですね。レダにとってあれほどのリスクを冒すほどの価値があるものなのか、というのが伝わらなかったので。
また、人形を隠したいのか、人に見せたいのか、返却したいのか、はっきりしないところもむず痒かったです。宿の管理人のおじちゃんが家に遊びに来ても人形を決して隠そうとしなかったり、いちいち行動が読めません。
そこがだいご味といえばそうなんだけど、なんせヒロインが面倒くさいおばちゃんだから、どうでもいいちゃあ、どうでもいい話なんですよね。なぜか彼女が男たちから美人みたいな扱いされていたのもちょっとどうかと思ったし。もうちょっとであの大学生の男の子といい感じになっちゃいそうで怖かったです。
娘たちに対するトラウマも、彼女たちと絶縁している、もしくは彼女たちを死なせてしまったとかならまだしも、普通に健在だし、連絡も取り合っているっていう設定が弱いですよね。
娘たちを見捨てて、数年後にまた娘たちのもとに戻った、というエピソードも中途半端だし、それならむしろもうすでにトラウマ克服しちゃってるじゃんって思うんですよね。それともレダが過去の自分の行動を恥じていて娘たちとはいい関係だけど、その行動を選択した自分が許せないんでしょうか。
ラストは議論を呼ぶ終わり方になっていましたねぇ。冒頭でラストをちょい見せする構成になっていて、果たしてレダは最後に死んだのか。あのオレンジの意味はなんだったのか、といった疑問がわくような仕掛けがしてあります。
僕は、ラストでレダは命を落とさず娘たちと話をしたことで彼女たちの存在を再認識し、関係性を修復した、というハッピーエンドととらえました。
あのオレンジは、娘たちとの関係性を象徴するもので、宿に着いたとき腐っていたオレンジが、帰る頃にはまっさらの綺麗なオレンジになっていたのは彼女がトラウマを克服したからだ、と解釈できますね。まあ、どっちにしろさっさと娘たちに電話すればよくない?っていう話ではありますが。
コメント
解釈が全く間違っていると思います。
彼女は克服できていません。
最後のシーンの彼女の表情が物語っていますし、罪悪感と母としての劣等感は子育てが終わっても、子供たちと電話ができる関係でもずっと消えずに苦しむ姿をリアルに描いています。
人間って、なんでこんな行動してしまったんだろう、ってあとあと思う行動をしてしまう事ってあって、それが上手く映像化されていたなと感じました。
ラストで、私もレダはなにか少し昇華できたのかなと思いました。