思い切り不幸に酔いしれた人たちが、不幸アピールをして終わっていく、負の要素しかない映画。ヒロインの言動にイライラすること間違いなしです。2点(100点満点)
生きてるだけで、愛のあらすじ
寧子はゴシップ誌のライター、津奈木と合コンで出会い、同棲を始めるも躁鬱病が原因で仕事もせず、家で寝てばかりの生活を繰り返すようになる。寧子は感情のコントロールができず、何かと喚き散らすことが多くなった。
そんな寧子に津奈木は、できるだけ感情を抑えて深く向き合わないようにしていた。しかし寧子にとってはそれが気に入らなかった。
ある日、寧子の前に津奈木の元恋人を名乗る女、安堂が現れ、寄りを戻したいから家を出て行ってくれと頼んでくる。
お金がないから出て行けないと寧子がいうと、安堂は寧子に喫茶店のバイトを紹介する。
それがきっかけで寧子は自立しようと試みるが、、、、
生きてるだけで、愛のキャスト
- 趣里
- 菅田将暉
- 田中哲司
- 西田尚美
- 松重豊
- 石橋静河
- 織田梨沙
- 仲里依紗
生きてるだけで、愛の感想と評価
読者の袋さんのリクエストです。ありがとうございます。
「太陽の塔」の関根光才監督による、躁鬱を患った女が自立を目指して奮闘する闘病ドラマ。本谷有希子の同名小説の実写化です。
病気+不幸な女+優しい恋人=美しい恋愛ドラマ、みたいな思考回路を持った人たちが作った駄作で、鬱の経験者が見ても暗くなるだろうし、健康な人が見てもマイナスな感情しか湧いてこないネガティブの塊みたいな代物です。
終始、躁鬱のヒロインが病人アピールしてくるだけの演出は「KOTOKO」と類似するものがありますね。見ているだけで憂鬱になってくる映画って誰が得するんだろう。
この手の邦画の最大の問題点は、躁鬱という病の現実を映し、理解を広めるのではなく、病人とそれに関わる優しい人たちを非現実的に美しく描いて「どう、感動ものでしょ?」と泣かせようとする魂胆にあるんですよ。
そもそもヒロインの寧子がなぜ躁鬱になったのかの描写がなく、母親譲りの躁鬱患者という、まるで遺伝と決めつけたかのような、ものすごい手抜きな設定になっています。
そんな寧子は過眠症だから毎朝遅くまで寝て過ごし、仕事もできないような状況に陥っていて、とにかく生きるのが苦しんだそうです。
まあ、そういう人も実際にいるだろうからそこまではいいんですよ。だけど、恋人の津奈木がそんな寧子を無条件で養っていく理由が全然描けていないんですよね。
だって津奈木を見ていると、そもそも寧子にそれほど興味がなさそうだし、できるだけ問題を避けたがってるし、がっつり向き合わおうとしないキャラに設定してあるし、深い情を感じてるから、好きで好きで仕方ないから病気でも、働けなくても僕が守りますっていう関係性じゃないからね。
例えば寧子に救われて自分が立ち直れたから恩を感じているとか、色っぽいからまあいっかとか、極度の寂しがりやだから一人よりは寧子でもいてくれればいいとか、問題ありの女を見ると父性本能が働いて俺がなんとかしてやらないと、という気になるとか、何かしらの理由があるはずじゃないですか。
でもそこが全く見えてこないんですよ。つまり、寧子に惚れる理由がゼロなんです。それも同棲し始めてから職を失って、躁鬱になったとかじゃないからね。
出会ったときから無職のくせに、ゴシップ誌の記者の仕事を最低呼ばわりして、自動販売機に頭をぶつけて、血を流したまま夜道を走り出すんですよ。どこに美しさがあるんだよ。その時点で「やばいだろ、こいつ」って逃げ出すレベルでしょ。少なくとも一緒に住んだらダメだろ。
寧子は、コーラのキャップの閉め方がきつすぎるとかで、喧嘩をふっかけてくるようなタイプで、夜遅くまで働いている彼氏に部屋を片付けろとか、突然手袋をはめろとか、無茶ぶりばかりするところを見ても、どれだけ敬意と感謝に欠けているかが分かります。
自分がお世話になっていることは棚において、どこか病気を盾にしているような気配があって嫌ですね。
普段は悲観的なくせに、自分の病気の症状に対しては開き直りを見せつつ自己肯定を繰り返すのも訳が分かりません。「言っておくけど、わたし今鬱だから」。知らねえよ、バカ。こんな私だけど、全てを包み込んでくれる彼氏? いねえから、そんな奴。鬱病の人が見ても寧子に対しては腹が立つんじゃないかなぁ。
唯一の見せ場は、寧子が発狂して服を脱いで外で全裸になるシーンでしょう。あのシーンにしても東京の人込みの中で撮影してたら、お?ってなってたけど、走っているときは脱がず、全裸のシーンだけわざわざ一目のつかない建物の屋上で撮影しているのが笑えます。
リミッターが外れて外で服を脱いでしまったっていう絵を撮りたいんでしょ? 狂気の見せ場なわけでしょ? じゃあなんで人がいないところ選んでんだよって。
どうせなら全裸で新宿の駅に切符を買いに行けよ。「あら嫌だ、私財布持ってなかった。道に捨てちゃったんだ」っていうならまだ面白かったのに。
中途半端に精神異常を描こうとするから、逆に精神の正常性しか伝わってこないんですよね。
結局、なにがダメって詰めが甘いんだよね。本当にこれで脚本が完成してるの?っていうレベルの出来なんですよ。まるで原案をそのまま映像化したみたいな薄っぺらさだよね。
ヒロインが躁鬱で、彼氏が記者。二人は同棲中で、やがてヒロインが自立のためにバイトを始め、発狂する。よしこれで行こう!みたいなノリで作ってるでしょ? それでとりあえず菅田将暉を恋人役にしておけば売れるでしょ、みたいな。売れねえっつーの。
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