2005年のアカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞受賞作品。音楽、映像は美しく、編集も上手く、ちゃんと観れるように作ってあるものの、これだけ偽善的なドキュメンタリー映画もまた珍しいです。40点(100点満点)
未来を写した子どもたちのあらすじ
イギリス人の写真家ザナ・ブリスキはインドのカルカッタの売春街に住む子どもたちと時間を過ごしているうちに、彼らに写真の撮り方を教え始める。
子どもたちは生まれてから一度も触れたことのないカメラに戸惑いながらも、独自の目線でユニークな写真を次々と撮っていく。それらの写真はやがて外国の写真展に出展されるなど、各地で注目を浴びるようになる。子どもたちは写真を通じて、新しい世界を知り、自分たちの未来を開こうとしていく。
未来を写した子どもたちの感想
いやあ、偽善的でした。だいたい、先進国出身の人間が貧困国に行って、ボランティア染みたことをするときには必ずなにかしらの狙いがあります。
履歴書に書くため、自分勝手な人生経験のため、自分の名前を売るため。いずれにしても本当に自分を捧げるつもりでボランティアをしている人はほとんどいないのではないでしょうか。
カメラを見たこともないような子どもたちに写真の撮り方を教え、新しい世界を知ってもらうというところまではいいとしても、その子どもたちが異国の地インドの売春婦の子どもたちである必要がどこにあるのか?
あの顔立ちからして、てっきりザナ・ブリスキはインド系イギリス人なんだとばかり思っていたけど、実際はユダヤ人だそうです。
つまり、インドとは全くなんのつながりもないのです。そんな女が仕事でインドに行って、現地の売春婦たちの写真を撮ったり、インタビューをしたりして、そのついでに撮った映画がこれなのです。
ザナ・ブリスキは子どもたちに学校へ行くように必死に働きかけ、この映画に出てくる自分のお気に入りの子どもたちにはお金を出したり、色々と手助けしている一方で子どもたちの親を悪魔のように描写し、他人の子どもに自分の価値観を押し付ける図々しさがあります。
そして映画を見ていれば分かるけど、主役は子どもたちではなく、あくまでも子どもたちを助けているザナ・ブリスキなのです。このバカ女、終始“頑張っている”自分ばかりを写しているのです。
本来被写体を撮る側の人間が、フレームの中に入ってきているという時点でどれだけ目立ちたがり屋なのかが分かるでしょう。
撮られたい、自分のことも見てもらいたい、有名になりたいというエゴがミエミエ。“人助け”の映画を撮って、ちゃっかりオスカーを受賞しているところなんかも気持ち悪いです。
これで実生活では子持ちのバツ一で、親権は夫のほうにあって、実の子どもには養育費を一銭も送ってなかったらかなり面白いですけどね。
コメント
映画を観るしか脳がないくせに
バカ女など決めつけるのはどうかと思う。偽善としかみえないかもしれんが行動し、子供たちに自分たちの可能性を示してあげるのは凄いことだ。
映画に点数をつけて悦に浸っている子供っぽい人に言っても仕方ないけど。
ググればわかるけど、例えばアビジットは現在ニューヨークで映画・写真の世界で活躍している。少なくとも数人の人生をポジティブな方向に変えたものをどういう頭をしていれば偽善と呼べるのか。文句ばかり言ってると知性も劣化するということだろう。