すべることに関しては天才的なサブサブ監督による、外国を舞台にした自己満足映画で、オチ知らずのコメディー劇です。23点(100点満点)
映画トイレットのあらすじ
プラモデルオタクのレイ(アレックス・ハウス)、引きこもりピアニストの兄モーリー(デヴィッド・レンドル)、エアギターで自己実現のアイデンティティーを保っている大学生の妹リサ(タチアナ・マズラニー)の三兄弟は、人生は退屈の繰り返しに耐えることだと信じて疑わなかった。しかし、生前母親が日本から呼んだばーちゃん(もたいまさこ)との日々を過ごす中で、三兄弟の心に少しずつ変化が起こり始める。
シネマトゥデイより
映画トイレットは退屈
「かもめ食堂」などの駄作でお馴染みの、つまらないほのぼの映画を作らせたら右に出る者のいない荻上直子監督による家族ドラマ。
ストーリーがいい加減で、笑いを狙ってはことごく外し、じれったい間を連発する、キラキラ女子向けの薄味コメディー映画です。
実際にスピリチュアル系端迷惑ポジティブ女子にすすめられて見たんですが、嫌な予感が的中しました。「かもめ食堂」同様外国を舞台にしていて、いかにも外国かぶれの日本人が外人あるあるをネタにして作りました、という感じが出ています。
物語は、アメリカ育ちの三人兄弟が、母親が亡くなったことをきっかけに日本から来ていた祖母と奇妙な共同生活を始める、というもので家族の交流をコメディータッチで緩く描いていきます。
母親も祖母も日本人ということは三兄弟はハーフ、あるいはウォーターかなにかに当るわけですが、いずれのキャストも日系ではなく、白人俳優を起用しています。
劇中、父親については一切触れず、母親と祖母の関係も子供のときから疎遠で、日本とアメリカで離れ離れで暮らしていた、挙句の果てには兄弟の一人は血がつながっておらず、親も誰だか分からないみたいな無理やりな設定を押し付けてきます。
孫たちがばあちゃんと呼ぶその祖母は母親の死後もなぜか日本に帰らず、孫たちの家に居座り、ニコリともせず、一言も言葉を発せず、孫たちを困惑させるというシチュエーションを笑いにしようと試みているけど、一つ一つのエピソードにオチがないくせに不必要に間を取っているもんだから、演出が逆効果に働いていて、退屈極まりないシーンの連続になっていました。
セリフに「人生は退屈の繰り返しだ」といった言葉が出てくる通り、どこかスローな展開を見せびらかすようなふしがあります。荻上直子監督っていかにも「退屈な毎日だけど、それが最高に幸せ」などと誰も聞いてないことをドヤ顔で言いだしそうで怖いです。
ばあちゃんが無言である意味もないし、英語が喋れないんだったら日本語で孫たちと意思疎通を取ればいいじゃないですか。ばあちゃんぐらいの年齢になると、そういうもんだし。
ジム・ジャームッシュ監督とかはああいう間の取り方を使いますよね。でも彼の場合しっかり一つ一つの会話にオチがあるし、俳優たちが渋いし、脚本が優れているから、それでも大丈夫なんですよ。
それに対して荻上直子監督みたいな不自然な演出しかできない人がやると、ひどいことになります。本来、何かの狙いがある「間」がただの無駄な時間にしかなりません。
脚本も日本語から英語に翻訳したみたいな不自然さが目立つし、あれでは笑いが起きようがないんですよ。
なによりこの映画の解説が笑えます。
『かもめ食堂』『めがね』の荻上直子監督が、海外で自分のオリジナル脚本の映画を撮るという念願の企画を実現。
うわー、自己満足感半端ないじゃないですか。海外で映画を撮ってる私ってどうかしら? 素敵?それを見てるあなたももちろん素敵よ、みたいなメッセージが聴こえてくるようで鳥肌が立ってきます。
タイトルの「トイレット」は、ばあちゃん(日本人)が持つトレイに対する愛着やこだわりようなものを表していました。日本人には和式トイレと洋式トイレの二つがあって、中でもウォシュレットは最上質のトイレでマドンナも絶賛しているんだよ、っていうエピソードを日本人しか見ない日本映画で語るっていうね。視点ズレズレ。
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