ベストセラー「朗読者」の映画化。原作も良かったし、映画も悪くなかったです。ベッドシーン満載で色っぽいし、とてもロマンチック、ケイト・ウィンスレットがまたまた体を張ったいい仕事をしてくれました。56点(100点満点)
映画愛を読む人のあらすじ
ある日、15歳のマイケルは急に気分が悪くなり、道端で吐いてしまう。そこに中年の女ハンナが現れ、助けてくれる。
このことがきっかけで二人は肉体関係を持つことに。恋人同士になった二人の間ではいつしかマイケルがハンナに本を読んで聞かせ、それが終ると愛し合うというのが習慣になっていく。
シネマトゥディより
映画愛を読む人のキャスト
- ケイト・ウィンスレット
- レイフ・ファインズ
- ダフィット・クロス
- ブルーノ・ガンツ
- レナ・オリン
- アレクサンドラ・マリア・ララ
- ハンナー・ヘルツシュプルング
- ズザンネ・ロータ
映画愛を読む人の感想
「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」、「トラッシュ!-この街が輝く日まで」、「リトル・ダンサー」でお馴染みのスティーヴン・ダルドリー監督による映画も原作も面白い珍しい作品です。
15歳のときに年上の美人な女性と付き合えるなんてなんてすばらしい体験なんでしょうか。時代が1958年というのがポイントで、昔では純粋な美しい恋愛も、今の時代だったら「こらぁ、未成年に手を出したなあ」とかいわれて、すぐに犯罪になってしまうから嫌ですね。
そういう意味では本当に心の貧しい、悲しい時代になったなあという感じがします。この主人公と同じで、若いときにした年上の人との恋愛は案外その先もずっと忘れられないものだったりするのに、それを淫行って呼ばれちゃ、まともに恋愛なんてできないですよ。
この映画のマイナス点は、読み書きができないことを隠すために、裁判でウソの証言をするところです。このシーンについては様々なコメントを頂きました。まさにこのシーンこそが一番重要だというのがほとんどの人の考えのようです。
原作では確かに一番衝撃的で、感動的な瞬間でしたが、映画では一番のサブサブシーンとなってしまいました。
なぜなら、それまでのハンナがかなり気の強い、気まぐれな、急に怒りだしたり、わがまま言い出したりする、扱いにくい女に描かれていたため、裁判でただのプライドの高い女が、自分で自分の首を絞め、不利な方向に結果を導いたという印象が強くなってしまったのです。
裁判って被告側は刑を軽くしてもらうためにはどんなウソでも付くはずです。その逆をわざわざやるんだから、ハンナは相当なプライドの持ち主だなぁ、馬鹿だなあという感じになってしまいました。
裁判のシーンにたどり着くまでにハンナが文盲であることを示す伏線を見せすぎたということもクライマックスが盛り上がらなかった原因かもしれません。あそこは全くのサプライズにしてもよかったんじゃないのかと。
もうひとつのマイナス点ですが、この映画はやっぱりドイツを代表する小説が基になっているんだから、外国人が監督して、全セリフ英語にするんじゃなく、ドイツ人がドイツ語で作らなきゃいけなかったと思います。おちおちしていると土地や文化だけじゃなく、美しいストーリーまでアメリカに盗られてしまうというのはなんだかなあ。
原作の「朗読者」ですが、この本を読んだ人の中にはこれの真似して、恋人同士で本を読み合ったりした人も絶対にいると思いますね。恥ずかしながら僕だってやっちゃいましたもん。でも誰にでもあるでしょ、そういう時期って。
ただ、「朗読者」でもこの映画でもそうなんですけど、長編小説を誰かに読んで聞かせるというのは実際のところはかなりかったるいので、やるんだったら5、6ページで完結するショートストーリーがオススメです。
もっと細かくいうと、恋人が文盲じゃない場合は、段落ごとに交代交代で読むというのがベストでしょう。周りからしたらバカなカップルに見えますが、実際やっている方はかなり楽しめます。そんなもんでしょ、恋愛って。
コメント
はじめまして。昨日、映画を観て来たばかりなのですが、こちらのサイトを偶然拝見し、「マイナス点」というところが、ひっかかりましてメールさせていただきました。
>刑を軽くしてもらうためにはどんなウソでも付かないといけないのに、ハンナは相当なプライドの持ち主で、、
文盲の方の心の痛みやそれまでの人生については、第三者には絶対分からないと思います。彼女にとっては、刑を軽くすることは重要ではなかったのです。大勢の人の前で、自分の心の傷をさらすことに耐えられなかったのでしょう。幼い子どもたちですら、読み書きが普通にできているのを、彼女はどんな気持ちでみていたでしょうか。
恋人同士で交代で短編を交代で朗読しあうというのは、とても素敵な方法ですね。使わせていただきます。
えらそうに書いてしまってすみません。
ブログもなくてアドレス書けず、すみません。
杉本さん。コメントありがとうございました。
杉本さんなら、無期懲役と文盲を告白するのとどっちをとりますか? 僕はそこで無期懲役を取る人の気持ちが理解できませんでした。刑務所に入ったら人間としての普通の権利、生活はなくなるし、無期懲役だったら基本的には何十年も自由を奪われるわけですから。たとえ、人に明かしたくない秘密が文盲であろうと、人殺しであろうと、レイプであろうと、浮気であろうと、やはり告白してしまったほうが、無期懲役よりはましだという感じがしますね。なにより、ハンナの場合は、秘密を隠して無期懲役を食らっておきながら、最後は普通にマイケルに文盲のことをバレてるわけですから、やっぱりアホだなと思いましたね。
もちろん無期懲役は御免被りたいですよ^^;
それは、私が文盲ではなく、現在、落ち着いて合理的な判断ができる状況だからそう言えるわけです。文字を解する人間に比べて情報量も極端に少ない文盲の人は、常識的な判断力が欠如していて、おかしな知恵がはたらかないかもしれません。突然の筆跡鑑定。パニックになり、とっさに判断力を失うこともあります。
私も、瞬間的に、意味不明の、とんでも行動に走ることが多々あるのでヒジョーに理解できます。
もちろん、文盲ということだけが、告白をしなかった理由ではないでしょう。特殊な生い立ちであることは想像できます。家族もなく、待つ人もいないので、帰るところもないでしょう。裁判で看守としての当時の立場を堂々と述べて、傍聴席からひんしゅくをかっていたハンナは、明らかに他の被告と違っていましたね。とにかく、ハンナは、無期懲役を選ぶという、100人に1人か2人(まったく根拠のない確率?!)の特殊な人間なんでしょう。
長々書いてすみません。お返事をいただいて、なんだかうれしくて調子に乗ってしまいました~
杉本さん
意見、反論、文句、大歓迎です。確かにハンナは怒りっぽいし、自分勝手なところもあるし、判断力はないのかもしれませんね。ただ、頭は悪くないと思いました。仕事もちゃんとこなして、上司から昇進させると告げられるぐらいだし、喋り方もしっかりしているし、賢い女だと思います。ただ、彼女の知能レベルと文盲というのがミスマッチだったかなと。まあ、それは時代性なんでしょうかね。
文盲であることを隠した理由は、プライドを持っていたからというよりも、恥の感覚を持っていたからでは?
この映画の「マイナス点」と決めるのはちょっとおかしいのでは?そこで「ワタシは文字が書けないのです!」と偽証であることを証明したとしたら、この映画は全く感慨の無い意味の無いものになってしまうでしょう...このシーン以降の悲劇が有ることによって、青春時代の甘い思い出を描いただけの映画ではなく、人生の複雑さを描いているのでしょう。
k1さん
ごもっともです。ただ、自分的には、ここをこうしたほうがその先のストーリーがもっとよくなるといった打算的な部分があのシーンに垣間見れて嫌だったんです。文盲であることを認めてたら、その後の展開はどんな風になってたのかなあと、そっちにも興味がありますね。
もっと人生経験積んでね。僕ちゃん(笑)
ケイトが本気で好きだったと言う視点でもう一度観てみましょう。
はじめまして。
私も昨日、この映画を観てきました。
私はもともと恋愛映画は苦手なのですが、宣伝で文学的な印象を受けたのでチャレンジしました。
マイナス点とか、時代背景、生い立ちなど色んな意見があるなぁ、と感心しました。
私としては恥ずかしい解釈かもしれませんが、マスコミか゜発達してない時代とはいえ、この世界のどこかにいる彼に、自分の罪が曝されてしまう(新聞などで)であろうことを彼女は思い、文盲であることを隠したのではないかと…。
ロマンチックに考え過ぎだとは思うのですが、それくらい彼とのひとときが彼女の中では宝物だったような気がします。
なので彼女のとった最後の行動は私なりにですが、すごく感情移入できました。
愛の残骸ほど、残酷なものはないんじゃあないかと…と、私は思ったのです。
なんだか長々と、すいません。
同罪の他看守たちと違って
ハンナは最初から法廷闘争をする気が無かったですよね。
無学で孤独なハンナは生真面目で正直
時代が変わり、突然糾弾されても実際何が悪かったか分からない。
なら、もうなんでも従いますの心境では?
ストーリーがもっと良くなるためにというより
ココこそが肝だと思います。
ねこさん
はじめまして。
この世界のどこかにいる彼のことを思って、だなんて、ロマンチックですねえ。となると、彼への想いが彼女を無期懲役に導くことになるわけだから余計にせつないですね。正直者はバカを見るじゃないけど、ハンナが割り切り上手なさっぱりした性格だったら、あんなことにはならなかったのでしょうか。
お前さん
ではお言葉どおり、もう一度観てみることにします。
arumiさん
同罪の他の看守たちは絵に描いたような極悪な顔をしていたので思わず笑っちゃいました。ただ、自分の罪を軽くするためにハンナに罪をきせるような、ああいう極悪人たちに僕はよりリアリティーを感じます。ハンナは裁判のときだけ、ちょっとバカ正直でいい人すぎたという感じがして、抵抗がありました。いずれにしてもあのシーンが肝心なシーンなのは事実ですが。
そうですか~やっぱり!!
映画観ろっかな~って 思ってたんすが・・・
やはり そうでしたか hmhm
>長編小説を誰かに読んで聞かせるというのは実際のところはかなりかったるいので、やるんだったら5、6ページで完結するショートストーリーがオススメです
まず、恋愛中に長編小説を読んであげるなんて・・・ありえない!
逆にイライラするかも!
ぜんちゃんさん
でも映画の中や原作の中では、長編小説読んであげてましたよね? あれはありえませんね? 絶対にイライラしますよ。
昨日二回目を見てきました。あまりにテーマが深すぎて理解できかねたので・・・それにしても見ての価値観や人生経験によってはさまざまな意見感想があるものですね!私が一番こころを打たれたのは人生の終末
期になって読み書きを習得し得たハンナの心情ですね・・それ以前にも文盲を克服する岐路はあったはずでしょうが・・彼女を突き動かすにはいたらなかったのでしょう。しかし彼女は皮肉にも最期の手段に大切な本達を使ってしまいました。そして美しかった若かりし彼女を彷彿させることもなくなったハンナの素足がショックでしたね・・長文失礼いたしました・・
はじめまして。
文盲の所は理解できる方、できない方、いろんな所で賛否両論でそここそがこの物語の醍醐味なんだろうなあと拝見させていただきました。いろんな意見があって良いと思いますが、理解できないという人の意見で感じたのは、想像力の欠如です。ちょっと想像してみて下さい。この世の中で文字の読み書きができないことで感じる孤独を。
ただこれを語り始めると観念的になり過ぎるので、なぜ文盲であることを証言しなかったのかを、彼女の頭の良さを踏まえた上で理論的にも言いますね。
これは解釈の問題ではないです。どうやって文盲であることを証明するんでしょう?彼女は嘘をついていると言われると分ったはずです。もしマイケルが証言してくれても、だいぶ年下の元恋人です。誰が信用するんでしょう?彼女には分っていたはずです。それを証明するために、どれほどの恥を晒さなければならないのかということも。そして、その先にあるのは罪を逃れようとウソをついている無様な女のレッテルであることも。この選択しかないのです。それを証言しても物語の行く末は同じなんです。あなたならどうしますか?
ちなみに監督のスティーブン・ダルドリーはイギリス人です。英語圏ではありますが、ヨーロッパの人です。私も最初は英語に違和感を覚えましたが、ワルキューレよりはマシでした(笑)それに英語吹替え版を見てると思えば、大した問題ではないのではないでしょうか?作品に対しても真摯な姿勢でしたし。
では、失礼致しました。
あみさん
コメントありがとうございます。2回も見に行きましたか。相当この映画が気にいったんですか? 人生の終盤で読み書き覚えるって普通の人じゃできないですよね。覚えるどころか、どんどんものを忘れていく年齢ですからね。あれはなにかにとり憑かれていたんでしょう。
K♂ さん
コメントありがとうございます。
僕がマイナス点としたところにはかなりの人から反論があり、驚いています。文盲については、どうやって文盲を証明するかの前に、どうやって文盲じゃないのを隠して、駅員みたいな職に就いたのかのほうが気になりましたね。文盲ならたとえばレストランのウェイターとかのほうが自然のような気がします。
あと全セリフ英語にしたために、ハンナが恋人をkidと呼んでいたのがなんかひっかかりましたね。子供だと思って付き合ってたなら、やっぱり愛じゃなくて、犯罪じゃないんですかね。
ああ、論点をずらされてしまいましたね。残念です。
私は特にこの映画が凄く好きという立場ではないですが、作者が何を描きたかったのかは理解できたつもりでいます。
人がこの物語の何に感動するのか、ということも。
なぜあなたがマイナスとした所にこんなにも反論が多いかというと、ハッキリ言って(ごめんなさい)書き方やツッコミ方が的外れで、心ない中傷のような、重箱の隅を突っつくような感じに読めるからだと思います。それはこのブログが「ただ文句が言いたい」というタイトルであるにも関わらず、評論のようなスタイルを文章が取ってしまっているせいだと思います。単純に嫌いだ〜とか、よくわかんなかった〜ってな表現だったら、それはそれでしょうがないなと思われていたことでしょう。どう感じるのも自由なんだし。でもここでの書かれ方は発表された評論として読んでしまうと、あまりに説得力がなくカチンと来るし、読んで悲しい気持になってしまうほど、作品とちゃんと向き合ってない感じに読めるのです。だから皆さん、どげんかせんといかんと思ってしまうんじゃないでしょうか?(笑)
どうやって文盲を隠して駅員を、とありますが(そんなこと説明するのも無粋の極みですが)駅員は路線が決まってしまっていて、地元に住んでいる人であれば、駅名を覚えてしまえばなんとかなる職業だからではないでしょうか?基本的に切符を切る、ここがどこかを言う、何かを書くことってない。駅名が変わることもない。客との関係性も一方通行です。その時代のこともあるので、原作者はそのくらいのことは調べて書いているでしょう。ちなみにレストランのウェイトレスはメニュー変わったらどうするんですか?本日のオススメは?領収書も書かないといけない。無理です。
英語のことに関しては、不自然を一度感じてしまったら、もうしようがないです。
ただ年齢差の件に関しては、ご自分の文章でそれを犯罪だなんて呼ぶのは、心が貧しいとお書きになっていますが、どうしましょ?
長々と失礼致しました。
呼び方を問題にされるのなら、彼女は大人になったマイケルもKIDと呼んでいます。若いからそう呼んでいるのではなく、精神年齢が彼女から見て幼いからそう呼んでいたのではないでしょうか?あるいは文盲である彼女のコンプレックスがそう呼ばせたのかもしれません。彼女には負い目があるので、そう呼んで彼女にとってやっと対等なのではないでしょうか。彼女の方にいわゆる愛があったかどうかは「?」ですが。彼も最初は欲情でしたし。
裁判のシーンについてそのように思われたんですね?上の文章からはそんなことは微塵も感じなかったので、議論をするということは大事なことだなと感じました。
私はわがまま放題な女のように感じてなかったので、そこから観方にズレがあります。裁判に関しても「刑を軽くしてもらうためにはどんなウソでも付かないといけない」と考えているところにもズレがあります。私はそうは思いませんし、彼女も終始、真実あるいは自分の感じたことをありのまま言うことで対応していました。
その中で彼女がサインをしたという「ウソ」に対して、真実で対抗できなくなってしまった。なぜなら文盲であることを言ってしまうと、彼女がこれまで生きてきた中でしてきたことが全て無になってしまうから。ちょっと言葉が足りないかもしれませんが、私は映画で描いてない彼女の過去に対しても想像してしまったのです。ですから、あなたのご意見に対して、想像力が足りないのでは?と申し上げたのです。
彼女の過去に対して少しでも想像してみましたか?文盲であることを隠すために人との接触をできるだけ避け、バカに見せないために虚勢を張り、そんななかで彼が現れたのです。それを考えれば、彼女のプライドの高さも、人肌を求めてしまった気持も理解できるのではないでしょうか?
K♂ さん
ハンナがマイケルのことをkidと呼んでいたことは、コメントを書いていてふと気付きました。もしハンナがマイケルを子どもとして認識していたうえで、セックスしていたら犯罪です。一人の人間として、一人の大人として接していたうえで、その相手がたまたま未成年だったらセーフです。また、kidと呼ぶのはあくまでもプレイだとしたら許容範囲。そうじゃなかったらアウトでしょう。もちろん僕が裁判官だったらの話ですが(笑)。
心の寂しい時代と、書いたのはその辺の違いを裁判官や検察官が理解せずに、どいつもこいつもみんな犯罪者扱いしている、未成年とのセックス=罪だとしていることが、寂しいと言ったわけです。
問題のシーンですが、原作では確かに一番の衝撃的な感動的なシーンでした。それが映画では一番の興醒めシーンになってしまったのには演出に問題があったと思いますね。それまでのハンナがわがまま女のように描かれていたので、プライドの高い女が自分で自分の首を絞めたとしか映りませんでした。残念。
もしかして、最後のコメントが前後してしまったので、お気づきでないのかもと思い、もう一度送信しますね。
呼び方を問題にされるのなら、彼女は大人になったマイケルもKIDと呼んでいます。若いからそう呼んでいるのではなく、精神年齢が彼女から見て幼いからそう呼んでいたのではないでしょうか?あるいは文盲である彼女のコンプレックスがそう呼ばせたのかもしれません。彼女には負い目があるので、そう呼んで彼女にとってやっと対等なのではないでしょうか。彼女の方にいわゆる愛があったかどうかは「?」ですが。彼も最初は欲情でしたし。
裁判のシーンについてそのように思われたんですね?上の文章からはそんなことは微塵も感じなかったので、議論をするということは大事なことだなと感じました。
私はわがまま放題な女のように感じてなかったので、そこから観方にズレがあります。裁判に関しても「刑を軽くしてもらうためにはどんなウソでも付かないといけない」と考えているところにもズレがあります。私はそうは思いませんし、彼女も終始、真実あるいは自分の感じたことをありのまま言うことで対応していました。
その中で彼女がサインをしたという「ウソ」に対して、真実で対抗できなくなってしまった。なぜなら文盲であることを言ってしまうと、彼女がこれまで生きてきた中でしてきたことが全て無になってしまうから。ちょっと言葉が足りないかもしれませんが、私は映画で描いてない彼女の過去に対しても想像してしまったのです。ですから、あなたのご意見に対して、想像力が足りないのでは?と申し上げたのです。
彼女の過去に対して少しでも想像してみましたか?文盲であることを隠すために人との接触をできるだけ避け、バカに見せないために虚勢を張り、そんななかで彼が現れたのです。それを考えれば、彼女のプライドの高さも、人肌を求めてしまった気持も理解できるのではないでしょうか?
この映画がよくわかりません。教えてください。
裁判ではみんな冤罪だって知ってるのに、終盤では本を読んだ人は彼女が重ーい罪を犯したと思い込んでしまっている。
生き残った娘も、責任者の顔は覚えていなくて、本を読ませる変な人は覚えているのだから、その変な人が責任者でないことを知っているはずなのに・・・。
「彼女を許すようでお金は受け取れません」といいました。
そんなに怒りが強いのなら、なぜ裁判のときに他の被告人を許したのでしょう?
主人公も面会のときに「たっぷり反省したか?」というような意味の問いかけをしていますが、冤罪のひとには普通は「大変だったね、お疲れ様」ではないでしょうか?
なんだか変な物語です。
コメントありがとうございます。
ハンナに全面的な責任はないとしても、冤罪かどうかというとまた話は別です。実際にハンナはナチスの一員だったわけだし、生き残った娘がお金を受け取れないといったのは、ハンナ個人を許せないというより、ナチスを許せないという意思表明なんじゃないでしょうか。
-そんなに怒りが強いのなら、なぜ裁判のときに他の被告人を許したのでしょう?
他の被告人をはっきり「許した」シーンなんてありましたでしょうか?
-主人公も面会のときに「たっぷり反省したか?」というような意味の問いかけをしていますが、冤罪のひとには普通は「大変だったね、お疲れ様」ではないでしょうか?
「たっぷり反省したか」なんてセリフがあったかどうかも覚えていないんですが、あったとしたら、「おれの童貞を奪いやがって、このアバズレ女め、たっぷり反省したか?」だったのかもしれません。
これ見たよ。
はっきり言うけど、よくわからないっていう奴はわかるまで何回も見て来いよ。
間違いなく傑作
たぶんヨーロッパ人には
文盲が何を意味するのかピンと来るんですよ。
「文盲がばれるよりユダヤ人迫害の罪で死刑になる方がまし」
彼女の名前はハンナ シュミット(平凡過ぎる名前)
”そういう人達”がいるんですよ。
単なる恋愛小説ではない、
ヨーロッパのタブーを背景にした傑作小説じゃないでしょうか。
14さん
コメントありがとうございます。確かに小説は傑作でしたね。しかし映画はさすがに小説には匹敵しませんでした。
私は、DVD見ました。久々滝のように涙が出ました。寝不足ですが、泣いたことでスッキリしました。(最近は、泣く=ストレス解消らしいですから♪)それにしても私的には、キャハって感じでいやらしさと純粋さが絶妙にマッチングしてヒットでした。ところで、裁判シーンですが、そこの見解は、男性と女性の考え方の違いかな~と思いました。男性=現実的←それが、女性から見ると、冷たいになるのかな~。女性=情・母性←それが、男性から見ると、甘い・理解不能みたいなのになるのかな~。とか。原作を読んでいないので、私もぜひ読みたいです。それと、愛を読む人の公式ページに、「初恋の人からの手紙」っていうのがあって、やってみたのですが、思っていた以上にウケました!(予告編を再生し、見た後に「初恋の人への手紙に挑戦」ボタンが出てきます)
きゃんでぃすさん
滝のように泣きましたか? 僕も久しぶりに滝のように泣いてみたいですね。そしたらすっきりするんだろうなあ。もしまたそんな映画があったら教えてください。
初めまして。この作品でどうしても気になることがあって書き込ませていただきました。いろいろな方の意見をお聞かせいただけるとありがたいです。
疑問点は、やはりハンナの筆跡鑑定のシーンについてです。
ハンナが文盲であるため行間を読めない性格、ということを中心に話がめぐり、そんな彼女を本当に救うためには・・・と悩み行動したしたマイケルの愛などもわかります。
ハンナの性格や人格を考えると、筆跡鑑定のシーンで文盲を隠すことは理解できます。多くの人が思う通常の理由です。もしそうであれば私はこの映画に関してはすべてつじつまが合うので、特に意見は必要ありません。
ですが、もしも、鑑定のシーンでハンナの脳裏に、文盲であることを隠していた自分と、朗読してくれたマイケルとの思い出が横切っていたとしたら、どうでしょうか・・・。つまり、マイケルとの愛が壊れるのが怖くて、隠したということです。
その後の展開などを見るとそれを思わせる描写がないのでわからないのですが、もしそうだとしたら真面目で頭のいいマイケルがたった一つだけ彼女を理解できていなかったことになり、お互いの愛がすれ違う結果になり、ものすごく悲しい内容になりませんか?
久しぶりにこの映画を見直して、こちらのブログにたどり着きました。
プライドが高いから文盲を隠すのではないです。
私も最初はなぜそんなに文盲を隠すのか不思議でした。
なので調べました。
「ロマ 文盲」で調べてみると良いです。
文盲である事を知られるわけにいかない時代背景があったのです。
ロマは殺しても良いという法律があったとか、なかったとか。
(しっかりした文献からの情報ではないので曖昧です。)
文盲率が0%に近い日本では理解しにくい事ですが、当時は文盲である事を
死ぬまで隠し通す人が多くいたそうです。
周りは気づいていたでしょうが、それほどに恥な事だったのです。
事務職はできないから、文盲を隠すために逃げました。
その結果、ナチの職場へたどり着いてしまいます。
現代の私たちには、文盲を隠して終身刑になるなんて、理解し難い部分ではありますが、想像することくらいはできるかもしれません。
そして文字を学び、自分の署名した書類の重さを知りました。
自分の罪も知りました。
私も彼女の立場だったら、きっと文盲を隠したのかもしれません。
文盲である事を告白する事で当時、罪が軽くなったのでしょうか。
蔑まされ、見下され、罪は変わらなかったと私は思います。
ロマのくせにとなる訳です。
この映画はナチスの差別はもちろんですが、ロマの差別も描いています。
ロマである事を知られる事がどれほど恐ろしい事だったのか。
どれほど恥に思って暮らしていたであろうか。
ある程度時代背景をご存知でないと、かなりスッキリしない強情な女の映画になってしまいます。
当時の文盲の人の気持ちを少しでも想像できたら、映画の感想も少し変わるのではないかな?と思います。
ヒロインがロマだったなんていう描写ありましたっけ?
「なぜそこまでして文盲を隠したか」という事です。
たとえロマではなかったとしても、文盲である事でどういう目で見られるかという事です。
文盲である事で、どういう目で見られるのかをある程度想像する事ができない場合、
この映画は理解できないです。
セリフに中に「私は文盲で、ロマです」なんて台詞はないですよ。笑。
当然他人に言われる場面もありません。
映画を見ました。
序盤から濃厚なセックスシーンがあってビックリ(笑)
序盤は思春期の少年の恋物語、後半は法廷シーンと先がわからず、考えさせらる面白い映画でした。
ただ、よくわからない疑問点が3つ。
①ハンナはなんで少年のマイケルと付き合ったのか?
②ハンナはなんであそこまで文盲であけことを隠したのか?
③なんでハンナは自殺した?
①に関して、マイケルがハンナと付き合うのは理解できます。男なら年齢なんて関係なく、あんな魅力的なハンナと出来るなら何の問題もありません。ハンナがマイケルに惹かれる理由がよくわかりません。監視時代に子供達に朗読してもらうことで、現実逃避をしていた節はありましたが、だからと言って付き合いますかね。マイケルが16歳の割には筋肉質だったからですかねー
②に関して、罪を認めてまで文盲を隠そうとした理由がわかりません。監視時代のことは全く罪悪感を感じていませんでした。罪よりも文盲がバレる事を極端に恐れていました。仕事でも事務職になるとわかった瞬間、仕事もマイケルも捨てて消え去りました。作品の根幹部分でもある気がするんですが、理解できませんでした。
③に関して、なんで自殺したんでしょう? ハンナは文盲の時は罪悪感を感じてなかった。 文字を覚えた事によって罪悪感が生まれたんでしょうか。文字を覚えるにつれて、自室にこもり暗くなっていったとも言われていました。それとも、マイケルに冷たくされて将来に悲観したんでしょうか?
長文になりましたが、考えさせらる良い作品でした。
未成年と付き合う人の気持ちは分からないですねえ。たまたま好きだった人が未成年だったんでしょうか。