戦場で起きた誤爆をめぐって、勇敢で隊員思いの部隊長が裁判にかけられる人間ドラマ。銃撃戦の中、仲間を救うことに気を取られたばかりに判断力を失い、過ちを犯した隊長の悲劇を上手く描いています。68点(100点満点)
ある戦争のあらすじ
アフガニスタンの平和を維持すべく駐留するデンマーク軍の部隊長クラウス(ピルー・アスベック)は、母国に妻子を残し日々命懸けの任務に当たっていた。ある日パトロール中にタリバンの襲撃を受け、彼は発砲場所と考えられる地区への空爆命令を下すが、実際には民間人しかいなかった。クラウスは帰国後、子供を含む民間人11人を死亡させたことで軍法会議にかけられるが……。
シネマトゥディより
ある戦争の感想
「偽りなき者」のトビアス・リンホルム監督によるデンマークの戦争映画。2016年のアカデミー賞外国語映画にもノミネートされた作品で歯がゆさと、やるせなさと、物悲しさを呼び起こす裁判ドラマになっています。
普通の戦争映画と違って、戦闘シーンを見所にしているわけでなく、前半にアフガニスタンの戦場の様子を、後半にデンマークでの裁判の過程を映し出していて、ストーリーの流れがとてもスムーズであると同時に先が全く予想できませんでした。
主人公のクラウスはアフガニスタンに駐留しているデンマーク軍の隊長で、自ら最前線に立って隊員たちを引っ張る、隊員思いの男です。
そんなクラウスを含むデンマーク軍の部隊はあるときタリバンに周囲を囲まれ、奇襲攻撃に遭います。銃撃戦の末、仲間の一人が首を撃たれ瀕死の状態に陥ると、クラウスはたまらず味方に空爆の要請をします。
まもなくしてヘリコプターによる応援が到着し、首を撃たれた隊員を病院へと運んでいくと、彼はなんとか一命を取り留めます。ところがデンマーク軍が空爆した地区にはタリバンではなく、子供や女性などの一般市民が大勢いたことが分かり、命令を下したクラウスは軍事裁判にかけられることになります。
裁判の最大の論点は、空爆を要請した地区にタリバンがいることを事前に確認したのかどうかで、それをなくして闇雲に空爆し民間人を殺害したら罰するべきだということです。
物語は”加害者”であるクラウスの目線で進みます。前半でクラウスの人柄の良さを十分に描いているせいか、あの銃撃戦の現場で判断力を欠いてしまうことが容易に想像できるからか、民間人を殺害してしまったからといってクラウスを責める気持ちにはなりませんでした。
戦争地域では、必ず誤爆によって罪のない民間人が殺されたといった事件がニュースになりますが、一言で「誤爆」といってもその背景や現場の様子を知っているのと知らないのとではまた違った印象を与えますね。そもそも戦場において冷静な判断をしろというのが無理な話で、軍による過ちはどのレベルまで裁判にかけられるべきかという問題もあります。
一方でもしこの映画が被害者目線で描かれていたら、またクラウスも違った男に見えたことでしょう。見方によっては助けを求めにきたアフガニスタンの家族をむげに扱い、彼らの命を守れなかったうえ、空爆によってほかの一般市民をも殺害した張本人であると考えることもできるでしょう。
クラウスがもうちょっと意地悪で性格の悪い男に描かれていて、さらに被害者家族が涙ながらに訴えるシーンでもあればクラウスに対する印象は180度変わりそうです。それだけ一人の人間に対するイメージなんていとも簡単に変わってしまうということを考えると、人を裁くことの難しさを痛感します。
裁判を終えたクラウスは判決で無実を言い渡されますが、素直に喜ばずに終始複雑な顔をしていたのが印象的でした。もしかすると彼自身が自分の無実に納得いっていなかったのかもしれません。
彼自身子供を持つ父親であり、子供を失くした人たちのことを考えると、胸が裂ける思いだったのでしょう。そういった心境をいちいち言葉で説明するのではなく、沈黙の演技によって伝えようとする演出はなかなかのものでした。
コメント
2016年11月に南スーダンに派遣される青森県の自衛隊の隊員たちの顔がクラウスたちと重なります。戦闘地域では娯射も誤爆も、単なる殺戮も何でも起こり得ることはベトナム戦争以後いくらでも紹介され、学んでいるはずです。まさにそれが戦争なのです。ですから、例え大義があったとしても他国の国内問題を兵士を送ることで解決しようとすることは誤りだと信じます。臆病と言われようと、自分勝手だと言われようと、「専守防衛」に徹することは普遍性のある平和政策です。破られた平和五原則をさも維持されているように糊塗する安倍政権はPKO問題で国民の審判を仰ぐべきです。さもなければ、自衛隊員に第2、第3のクラウスが生まれることは自明です。