トルコの田舎町を舞台にした、厳しい親戚家族に育てられた5人姉妹の家族ドラマ。親戚が決めた相手と強制的に結婚させられていく姉妹の葛藤と自由への叫びを描いた芸術路線の映画で、ミニシアター系が好きな女性が見るべき一本です。67点(100点満点)
裸足の季節のあらすじ
5人姉妹の末っ子であるラーレは姉妹の中でも人一倍気が強く頑固者。彼女は両親を事故で亡くし、しつけに厳しい祖母と叔父たちの下で暮らしていた。
ある日、年頃になった長女が男性のもとへと嫁がされていくと、それを皮切りに次々と姉たちが結婚させられ、ラーレの元を去っていくようになる。
ラーレはそんな家族の伝統に疑問を抱き、強く反発するになる。やがて自由を得るには大都市イスタンブールに行くしかないという結論に至る。
裸足の季節の感想
デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督によるアカデミー賞外国語映画ノミネート作品です。トルコ人の思春期の様子、田舎の家族のしきたりなど文化の違いを感じさせる人間ドラマで、興味深かったです。
物語は、姉妹たちが学校帰りに海に寄って海水浴をするところからスタートします。いきなりそこで彼女たちは水着にならず、制服のまま豪快に海に飛び込んでいきます。女の子だけでなく、男子生徒たちもまた上半身裸にもならずYシャツのままで泳ぎだします。
それだけでも結構な文化の違いに驚かされるのですが、もっと驚いたのは姉妹たちが男子生徒たちと何気なく水浴びをして遊んでいると、村人たちに変な噂を立てられてしまうことです。
「あの娘たちは男たちに肩車されたままマスターベーションしてたんだって、なんて下品なんでしょう」。
田舎町でそんな噂を流されたら親戚中の恥だ、と言って祖母や叔父は怒り狂います。それからというもの姉妹たちの「性的」な要素を排除しようと、親戚は化粧や電話を隠し、無駄な外出も禁じるようになります。肌を露出しない服を着させ、料理を覚えさせ、女として生きるとはなにかを教えていきます。
彼らからすれば普通なのかもしれませんが、村人たちの「性」に対するアンテナの鋭さが尋常じゃなくて笑えます。何よりも「処女」であることを重んじていて、新婚初夜のシーツに血がついているかどうかを叔母さんたちがチェックしにきたり、病院に処女検査をさせに行ったり、とものすごい執着を見せます。
ひとつ疑問に残ったのが、あの姉妹たちはトルコにおいてはかなり反抗的な「不良少女」なのか、それとも今の若者はみんなあんなものなのか、どうなんでしょうかね? トルコに詳しい人がいたらぜひ教えていただきたいところです。
この映画はインスタンブールを「自由」の象徴として描いていて、不良少女の姉妹たちが家族の掟から逃れるために命がけでイスタンブールを目指すところまでを追っています。
しかしそれは岩手の女子大生が東京に憧れて上京する、といったような軽いノリではなく、見つかれば最後、親戚の叔父さんたちに殴り殺される可能性も決して低くないというマジな話なのです。
そのせいか田舎に住む美人5人姉妹の話なのに「海街diary」のようなチープさと胡散臭さがありませんでした。
田舎の子民家でオシャレな人生をエンジョイしている女たちの映画とは真剣味が違うわけで、世界各国の映画祭で評価されているのはそれだけグサりとささるメッセージ性があるからでしょう。
それにしても姉妹たちがトルコ人女性のイメージをひっくり返すぐらいエキゾチックな美人でしたね。あれが不細工姉妹だったら彼女たちの運命は果たしてどうなっていたのかも気になるところです。
美人姉妹だからこそ彼女たちが「しょうもない男と無理やり結婚させられた可愛そうな姉妹」といったイメージが強くなったというのはあると思います。なぜなら姉妹だけじゃなく、男たちもまた強制的に結婚させられているのは変わらず、それについてはほとんど同情の余地を残していませんね。
これは考えようによっては、女の上から目線で撮った映画といってもいいかもしれません。ちなみに監督は女性です。これが不細工姉妹だったら、結婚したくても村にもらい手がいなくて、「叔父さん、誰でもいいから結婚相手見つけてきてちょうだい」とか言いだしたりして、お見合い結婚させられても「むしろ結婚できてよかったじゃん」といった話になってしまっていたかもしれませんよ。
そういう意味では美人姉妹と不細工姉妹の両パターンのシナリオを作ったら、視聴者も彼らの結婚文化に対してもっと複雑な感情を抱いていたはずです。
コメント
映画男さんの文句、いつも楽しく読んでます。今後も文句をじゃんじゃん飛ばして下さい♪
西トルコの大都市イズミルをここ数年に渡って頻繁に訪れていました。その上でいくつか私の印象を参考までに。
まず制服のまま水遊びをする場面ですが、トルコの大都市であれば普通に水着で遊ぶと思います。育った家庭や個人の考え方によりますが、大都市圏であれば女性が大胆に肌を露出する服装をすることは珍しくないです。ただし、見たところこの映画の舞台は黒海沿岸の田舎町です。保守的な地域であれば、水遊びの際でも肌を露わにすることがタブーであってもおかしくないと思います。
また性や処女性についてですが、これは大都市圏でも一部で保守的です。婚前交渉を全く許さない家庭も珍しくなく、交際中のフィジカルな接触についても厳しく注意されることすらあります(交際相手とのツーショットで互いが親密に寄りすぎていると親に注意されたりします。なので厳しい親の前では交際相手の手を握らないカップルもいます)。ただし劇中であるように家族に秘密にして、というケースも実際にあります。一方トルコの恋愛映画やドラマで、ごく自然にロマンティックな婚前交渉が描写される例もあります。若い世代の憧れを反映しているのかもしれません。あと、女性の生理などの基本的な性的な悩みですら、男女間で話すことを躊躇う傾向があるようで、これは多少問題だと感じてます。
彼女たちが受けさせられた処女検査ですが、これも大都市圏ですら結婚直前の女性が受診することは珍しくないようです。劇中で、次女が初夜の後で出血しない為に受けさせられていましたね。義父が彼女を病院に連れて行った際、受付の看護師が彼の腰に拳銃があることに気が付いて何かを悟ったような表情をしていました。これは多分、彼は処女でないと診断が下っていれば彼女を殺すつもりだったという描写だと思います。俗に名誉殺人というようですが、女性が家の名誉を汚したという理由で家族に殺される例はあります(もちろん違法ですし以前と比べれば少ないです)。
さて、彼女たちの抵抗がどの程度「不良」なのかは正直分かりません。ただ印象では、トルコでは最終的には個人個人がかなり独自の価値観で動きます。親がこうだから、家族にこう言われたから、という理由で人生を決める人は見たことないです。人によっては親や地域の文化に激しく反抗した末に都市部や海外へ去って行く場合もあるでしょう。
最後にトルコ人女性の容姿についてですが、イズミルのような大都市を基準に考えると、演じていた少女たちより美人の方も沢山います。ので、彼女たちは顔や体型ではなく、やはり演技力や役のイメージとの相性で選ばれたと思います。というか、私は不細工だという印象を与えるような外見の若い女性をトルコでは見たことがないです。
詳しい解説ありがとうございます。トルコって田舎に行くと、まだまだそんなに保守的なんですね。この映画はそんなトルコ文化が伝わってくる面白い作品でした。
女性の私が見ても、結構衝撃的でした。
あの処女への執着ぶり。
なのに結婚が決まった姉妹に手を出す悪魔のような叔父。
宗教色が強い作品を見るたびに、宗教とは一体誰得なのか、という疑問が湧きます。
命からがら逃げても幼い2人でどうするのかと思っていたので、伏線回収ほど大袈裟ではないですが、あの時の先生に頼るというラストになんだかリアリティを感じました。
どこの国にもしょうもない男たちがいますねえ